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3.価値


「価値」という価値観 ―‥

これほど、わたしたちを惑わせる虚像があるでしょうか。

価値がある、価値がない、価値が高い、価値が低い・・モノにつけられた値段から、"私の価値"といった人間性に対する評価まで。「価値」という概念が、わたしたちの中に浸透しています。

そこで、今日お伝えしておきたい真実は、「価値という価値観」なんて存在しないということです。

価値、それは"幻想"です。

「ほう、この焼き物は素晴らしいですね」

「おや、あなたにはこの価値が分かるのですね」

・・とそんな調子で、単に一つの“観察点の個性”を表現するために使われていた粋な言葉が、いつしか「私の価値って‥」という、生命の存在に対してまで乱用されるようになってしまったのは、一体どうしてなのでしょうか?

これははっきり言って、「価値」という概念の使いどころを、はき違えています。

人間に対してだけではありません。

動物にも、植物にも、鉱物にも、太陽の光にさえも、いつからか全ての存在に対して「価値」という概念が当てはめられるようになってしまいました。

「この植物には価値がない」

「この虫には価値がない」

「この木には値打ちがない」

「私なんて価値がない」‥と。

このように、生命の存在に対して「価値」という概念が当てはめられてしまうのは、真実に対する大いなる冒涜です。

価値とは、あなたの眼差しが対象物を観察する時、「その観察点をどこに持ってくるのか?」によって、自由自在に見いだされる"オプション"です。

あなたは『存在』であって、"オプション"ではありません。

大輪の花についた雫のきらめきは、あまりにも美しく、思わず心を奪われますが、それは照りつける太陽の熱に召され、そっと消えゆく運命です。

その輝きは、美しい"オプション"です。

ですが、苦しくなってしまうほどに、「価値」という価値観ゲームに熱中しないでください。

透きとおる風や、まばゆい光が、あなたの頬にさわって通りぬけるように、それらは気まぐれで、一瞬で、可愛らしい"オプション"なのです。そういった遊びなのです。

「自分には価値があるのだろうか?」と自問自答したくなった時、言いようのない不安感に襲われるのは当然です。「存在価値を問う」など、そんな見当違いな疑問に対する答えは、どこにも用意されていないのですから。それは真実とは関係のない、言葉遊びです。

それでもどうしても「自分には価値があるのか?」という不安がこみ上げてきた時には、代わりにこう呟いてみてください。

『自分はここに存在している』 と。

そして、呼吸を続けてください。

そこにある、"空気というもの"を、感じてみてください。

空を見上げて、"空というもの"を感じてみてください。

今この瞬間も、あなたを支え続けている、"大地というもの"を感じてみてください。

あなたは、「この空には価値があるのだろうか?」という疑いをお持ちでしょうか?

「この大地には、意義があるのだろうか?」「この空気の存在には、価値があるのだろうか?」などという疑問をお持ちでしょうか?

そのような感覚など持っていないのだとしたら、きっと大丈夫です。

ここに“空気”が在り、ここに“大地”が在り、上には“空”と呼ばれるものが、どこまでも広がって在ります。

ここにあなたの肉体が在り、そこにあなたの心が宿り、魂と呼ばれるものが、どこまでも広がって在ります。

『存在』とは、そういうものです。

もちろん、この空気や大地が、どれほどの価値を秘めているか?ー…それは「価値」などという尺度の中では、計り知れないものであることくらい、ちょっと不安になったあなたの心であっても、理屈抜きで感じられるはずです。


いつもいつでも、称えるべきは、

あなたの「オプション」ではなく、あなたの『存在』です。



あなたの存在を、感じてください。


あなたの存在を、祝福してください。



あなたの存在は、価値によって揺らぐことはないのだから。

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