9.怒りの松明
- Bio Sinfonia
- 2012年10月6日
- 読了時間: 7分
更新日:2021年8月17日

あなたがもし、抑えようのない怒りに苛まれたとしたら・・?
どうするでしょうか?
落ち着こうとはするものの、依然として込み上げてくる怒りによって、どこかいつもの自分でなくなり、物事が手に付かなくなってくるかも知れません。
「どうしてやろうか」 と思うことでしょう。
それは「自分の中の怒りのエネルギーをどう処理しよう?」という意味かも知れませんし、「自分をここまで怒らせた相手をどうしてやろう?」という意味でもあるかも知れません。
そんな時は、怒りを抑圧せず、放置せず、怒りに賢く対処してください。
怒りは風のようにフッとやってきて、そっと去っていくものではありません。
怒りは対処されるのを待っています。
けれども、あなたという存在の主導権を、怒りに明け渡してしまうことだけは、避けなければなりません。
第一に、「怒り」とはあなたに大切なことを教えてくれる重要なエネルギーなのだ、ということを知っておいてください。
怒りは、「あなたが何を強く大切にしているのか?」「あなたが何を強く守りたがっているのか?」について、より明確に教えてくれています。
怒りの奥にある、あなたが最も大切にしているものを、見つけてあげてください。怒りは、それを見つける手がかりです。そのために怒りはやってきます。
けれども、そんな怒りの奥にあるものを見ようとせず、あなたが怒りのベクトルを特定の他人に対して向け続けてしまう時、残念ながらあなたは何も見えなくなります。
そんな時のあなたは、自分を怒らせた相手‥それを発したあまりにもインパクトの強い相手に目がくらみ、『自分の心の窓』に映る“自分”を見失ってしまいます。
あなたの心の窓に映るのは“自分自身”ではなく、怒りを引き起こした“その人”しか映らなくなってしまいます。
しかし、怒りは他者を燃やすためにあるものではないということを、忘れないでいてください。
怒りは、本来の使い方をされない時、狂気のようにも成り得ます。それが怒りの危険な点です。使い方を誤ってはいけないのは「火」と同様です。
なぜならそれらは、何かを理不尽に破壊し、何かを強引に成し得る強いエネルギーを持っているからです。
時に、自分や他人の命さえも奪ってしまうほどの、強い強いエネルギーです。
自分の命を殺すという行為は、深い絶望や無力感のさらに奥に、そんなマグマのようなエネルギーが隠されているからこそ、成し得てしまうものです。自殺に追い込まれてしまった人は、他人を殺したくても出来ないからこそ「自分を殺す」ことによって、それを実現します。他者を殺すことなく、願いを叶える唯一の方法が、自分を殺す事です。それにより、その人の世界では、自分を含めた全ての人が死ぬことが出来ます。
それほどまでに大それたことを成し得る、強大なエネルギーが、その人の奥深くで、くすぶっていたという事です。エネルギーがカラカラに枯渇し、無気力に疲れ果てた人間は、自他もろとも命を殺すことなど到底出来ないものです。
この世界では、誰かが自殺に追い込まれる度に、わたしたちもまた、意識の上では何度も殺され続けています。これは、この世界に渦巻く最も大きな悲しみの一つではないでしょうか。
これほどまでに大切な<怒りの対処法>について、誰かがきちんと教えてくれたことがあるでしょうか?
もちろん、学校で習う事はありません。親御さんが教えてくれたことも、なかったかも知れません。
なぜなら大人たちも、どうしていいか分からないからです。
「ストレス発散」と言って、エネルギーをかき回しながら真実までもかき回してしまうことくらいしか、わたしたちは具体的な対処法を知らないのかも知れません。
だからこそ、あなたから初めてください。
「あなたの怒り」に対処できるのは、「あなただけ」です。
どうしようもない怒りの奥に、とても大切な“あなた自身の断片”が、きっと見つかるはずです。
それを見ようとすると、怒りの奥から、深い悲しみが込み上げてくるかも知れません。
そんな時は、悲しみを味わい尽くして、涙と共に流してあげてください。
悲しみもまた、あなたに見つけてもらえるのを待っていました。安心してしっかり悲しみ、それらを『体験し終えて』ください。
そして、悲しみを手におさめる事が出来たなら、次は手放す時です。
悲しみとあなたは、運命共同体ではありません。
悲しみは、蝶のように去っていきます。カゴの中につかまえておく必要はありません。
そして、あなたが『最も大切にしているもの』『最も守りたかったもの』を、見つけてあげてください。
怒りが湧くという事は、悲しみがあるということは、あなたがその大切なものを、もっともっと大切にしていいのですよ、というサインです。
もっと意識的に、意図的に、実践的に、大切にしてあげてください。
一生懸命やっているあなたは、一生懸命やっていることを他人にバカにされた時、悔しくて、悲しくて、怒りが込み上げてくるはずです。そうしたならば、それは「一生懸命なあなた」を、あなた自身でもっと意図的に大切にし、自ら正当に評価し、たくさん愛してあげればいいんですよというサインです。それを実践してくださいねと言うサインです。「自分は、一生懸命な自分が大好きなのだ」という自覚を、あなたの中で大切にしてあげてください。
家族を大切に思っている人が、他人から家族をけなされてカッとなった時、それはあなたがもっと意識的に家族を大切にすればいいのですよ、というサインです。
心の底で家族は大切だと感じていながらも、思う存分大切には出来ていない時、或いは素直にその気持ちを表現できていない時、家族を悪く言われると怒りが込み上げてきます。それは、あなたがもっと意識的に、実践的に、家族への愛をストレートに表現すればいいんですよというサインです。あなたの中の大きな愛を認めてあげてください。自分の中で愛情を示す事に遠慮はいりません。
ゲームをしながらも「今から勉強しようかなぁ」と心秘かに思っていた子供が、お母さんに「そろそろ勉強しなさいよ」と言われた途端に、言いようのない怒りが込みあげて来て、「勉強なんかしてやるかバカヤロー」と叫びたくなる気持ちを知っているでしょう。その子は本当は、自分の中の“勉強したい気持ち”を、大切にしたかったのです。自分の中に芽生えた気持ちを、自分の力で大切に育ててみたかったのです。
その“新しく芽生えた大切なもの”を、いきなり台無しにされたような気がして、どうやって大切にしたらいいか分からなくなり、子どもは混乱してしまうのです。
なんとも自然なことではないでしょうか。
もしも、あなたの目の前で子どもさんが怒ったなら、その子が一体「何をそんなに大切に思っているのか」「何を守りたがっているのか」について、大人の皆さんは目を向けてあげてください。できることなら一緒に探してあげてください。少々、むずかしいかも知れません。なぜなら、子どもはまだ“それを表現する方法”に、長けてはいないからです。
けれども、それを一緒に感じてあげることが出来た時、あなた自身もまた、子どもの怒りから、他人の怒りから、何か大切なことを学ぶはずです。
どうぞ“怒りという薪”を使って、あなたの『大切なもの』を、存分に大切にするための、エネルギーを得て下さい。
怒りは、原点に返ってあなたの情熱に火をつけるための、一番最初の“着火剤”になり得ます。
それは、あなた自身をあたため、あなた自身の力で行動を起こすエネルギーをくれる、大浄化・大前進のための炎となるでしょう。
あなたの深いところで冷めて動かなくなっていた心や、あなたの深いところで麻痺していた心に、再び火をつけて揺さぶりをかけてくれる起爆剤、それが『怒り』なのです。
どこかで迷子になっていた、あなたの宝物を発掘するために、突然やって来る招かれざる客―‥そんな怒りに、勇敢にお付き合いしてあげてください。
それは、あなたの覚醒大冒険の道のりを照らす、松明となるでしょう。