5.目指すもの
- Bio Sinfonia
- 2012年10月9日
- 読了時間: 4分
更新日:2024年12月30日

「あなたは、何を目指しているのですか?」
この問いの不自然さに100%気付いていらっしゃる方が、このページに来ることはないかも知れません。
人はいつもいつも、何かを目指しています。子供であっても。
生まれたばかりの赤ちゃんは、目指すことを知りません。
けれども、小学校に入るととたんに、「目標」なるものの価値観を、誰もが知らされることとなります。
それは、“今この瞬間の時間とエネルギー”を、その「目標なるもの」に対して使っていくという考え方です。
「目標を紙に書きましょう」
このような先生の言葉に、「ん~‥」と唸りながら頭を掻きながら、なかなか紙に目標を絞りだせなかった子供の姿が、あなたの脳裏にもぼんやりと浮かびませんか?
そんな子どもこそ、既に足すところも引くところもない存在です。
その子は『今』を生きています。
しかし、そんな子も、いつしか集団に習って大人の考え方を受け入れていきます。目標を決める事が出来るようになります。“目指すものを持つ”ことが出来るようになります。
そしてそれが、いつしか“自動的”になっていきいます。
やがて立派な大人に成長したある時、ふと思うのです。
「自分は一体、何をやりたいのだろうか?」
「自分は一体、何を目指しているのだろうか?」
そんな突如として内側から湧き上がる疑問は、あなたに戸惑いをもたらすかも知れません。
目指すものありきの人生は、目指すものを見失った途端、路頭に迷います。
目指しているものが「やっぱりこれではなかった‥」と痛感した時、不安に襲われもします。
目指している世界が「実は空虚なものだった‥」と知った時、絶望感に苛まれることもあります。
まるで方向感覚を失って、迷子になった子供のように。
しかし、そんな喪失感や無力感などは無用です。
安心して、すぐに手放していただいて大丈夫です。
大人になったあなたは、晴れて子どもに返る準備が出来たということです。ここからが原点回帰のスタートです。
「何を目指しているんだろうか?」そんな疑問は、確かに最もなものです。
ここで少し、思考の転換をしてみてください。
「目指すもの」なんて、もともと無かったのだと。
あなたの切迫感に貼り付いて離れなかった「目標思考」は、本来のあなたのものではありません。安心して手放してしまっても、何も問題はありません。
現代の社会において、人が「何かを目指す」ということは、そのほとんどが「今を否定する」ことから始まっています。
このままでは「いけない」
もっとよくならなければ「いけない」
今のままでは「十分ではない」・・と。
そんなお決まりの価値観が、あなたを『今』ではない別の場所へと駆り立てます。
目標が悪いのではありません。
目標を持たない方がいい、と言っているのでもありません。
目標というものが、いかに素晴らしく、いかに心を鼓舞させてくれるものであるか、わたしたちはもう十分に知っています。
けれども、「今を否定すること」をベースにした目標は、いつになっても、あなた自身を否定し続けます。
今を否定し、あなたがようやくその目標に辿り着いた時、あなたはそんな素晴らしい自分を十分に味わい祝福するより早く、更なる次の目標へと駆り立てられていることでしょう。
であるならば、目標に忙しいあなたは、一体いつ今を生きるのでしょうか?
今この瞬間のありのままの自分を完全肯定し、無条件で愛でる日はいつなのでしょうか?
今この瞬間も、あなたはすでに『完全』です。
『完全である』ということは、あなたが「ここが完ぺきじゃない‥」と思い込んでいるその点も、実は完全であったということです。
そして、あなたが「完ぺきじゃない‥」と考えているその思考の動きすらも、完全であると言うことです。
あなたはそのまま、ありのままで、この宇宙全体の生命体験に貢献しています。
気づきを、学びを、発し与えて、輝く光なのです。
あなたの“今”が、『あなたの到達したかった場所』です。
“今この瞬間”をかみしめながら、
今に生きる時、
今を起点とした、あなたの真の創造が始まります。