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10.旅する批判家


あなたは、人を批判することが好きですか?

少々ドキリとするような質問かも知れません。

人間のエゴは、批判することが大好きです。あなたの知能は、批判家の一面を持っています。

それが、大脳新皮質を持つ、わたしたち人間の自然です。

気になる相手の揚げ足をとっては、心の中で理路整然と指摘する‥そんな感覚を、誰もが味わったことがあるのではないでしょうか?

その一方で、人は自分自身が「批判される側」にまわる事を恐れるものです。

そんな恐れから、批判されないよう気を付けたり、かと思えば「批判することはいけない」ことだとして、批判する事を批判するかのような、ややこしい姿勢を取ることさえあります。

意見が「批判」にならないよう、心がけている方もいらっしゃるかも知れません。

いずれにせよ、わたしたちのエゴは「批判」というものに対して、とても敏感であるというわけです。

さて、このようなエゴの習性、「批判」ということをもって、結局わたしたちは、なにをやっているのでしょうか?

あなたが声に出そうと出すまいと、相手に伝えようと伝えまいと、あなたの心が何らかの批判をするということは、あなたは今『なにかを構築しようとしている途中』の段階にあると言えます。

批判家のあなたが顔を出す時、あなたは、あなたの持つある一面を、しっかりと"築こう"としている段階です。

批判というのは、自分自身の構築作業中に発生する「己の正しさの確認作業」であると言えます。

「セルフチェック作業」というわけです。

そんな「あなたが、あなたを持つ」「あなたが、あなたを構築する」ということは、素晴らしいことです。

どうぞ思う存分、セルフチェックしてください。

そして思う存分、構築してください。

けれども出来れば、声にあげる必要のないものは、心の中でそっと呟くだけにしておきましょう。

あなたが批判しようとしている相手は、単にあなたが「自分自身の在り様」を確認するための"鏡"として、そこに存在してくれているわけですから。

ネットに投稿するよりも、あなた自身が後でしっかりと読み返せるように、自分専用のノートに書いてみて下さい。

するとその批判は、いつもとはちょっと違った響きであなたの中で振動し、あなたの内なる扉をノックしてくれることでしょう。

つまるところ批判とは、「自分の中に芽生えている概念」を、自分自身に教え込むための確認作業です。

自分の信念を強めていくための、練習ドリルのようなものです。

もしあなたが、カットしたての自分の髪型に、いまいち自信が持てない時・・ソワソワと気になってしまって、きっと一日に何度も鏡で髪型をチェックしたくなるのではありませんか?

逆に、新しい髪型が気に入ってしまって嬉しすぎる場合でも、やはり鏡を何度も見てみたくなるかも知れません。

批判という行為は、それに似ています。

鏡の前の"自己チェック"によく似た、「頭の中の確認行為」というわけです。

だからこそ、たとえ誰も聞いていなくとも、あなたの内なる批判の大演説は、心の中で展開されてしまいます。

たとえ誰も見ていなくとも「ただ自分が鏡を見たい」という衝動が起きてくるのと同様です。もはや、他人がそれを聞いているかどうかは、問題ではありません。

人によっては「誰かに聞いてもらえないと気が済まないよ」という方もいらっしゃるかも知れませんが、それは何より、自分がそれを聞いて確認したいからです。そして出来ることなら、「うん、その通りだね」と、誰かに同意して欲しいのです。

なぜなら、不安だからです。

人は、自分にとっての“好ましい考え方”を否定されるような別の概念に出会う時、無意識に不安を覚えます。けれども、そんな相手を上手に批判できたなら、自分の概念を守りぬいた勝利の実感を得ることができます。

それにより、不安は和らいで“自信”に変わっていきます。

批判とは、そんな「自分の中に構築されつつある概念」を、確かなものにしていくための、エゴの肯定作業です。

どうかそんなエゴを否定することなく、嫌悪するまでもなく、ありのままにゆっくり楽しんで、気長にお付き合いしてあげてください。

焦らずとも大丈夫です。

それはいつまでも続くわけではありません。

なぜなら人は、自分の考えに不安や迷いがすっかりなくなった時、「自分とは違う考え」の誰かを、わざわざ批判するような真似はしなくなるからです。

単に、自分の信じる物事の確かさを確認するためだけに、自分のエネルギーを浪費するような行いには、興味がなくなるのです。

あなたが何かを構築し切って、その側面が成長し切った時、あなたの中の批判家は役目を終えて、そっと立ち去っていきます。

確かな自信と信念を構築し切ったあなたは、何かを批判するエネルギーがあったなら、もっと別のことをするようになるでしょう。

例えば、行動をします。

信念と行動が一体になり、他者や何かを批判するような"エネルギーロス"は好まなくなるでしょう。

さらに自信をつけて完成したあなたは、むしろそれ自体の概念崩しの準備が出来上がり、異なる見方を取り入れ、すでに学んだことを自ら崩しながら、洗練させていくことが出来るようになります。

しかしながら、もしもあなたが、何だかいつになっても批判をやめられず、ずっとだらだらと小出しに批判を続けており、どうやら何かにつけ批判体質になっているとしたら‥

それは何かがおかしいぞというサインです。

そんな時、もしかしたらあなたは「責めている」のかも知れません。

それは、あなたが批判したくなるその部分に、あなたの未消化の強い“感情”が残っているからです。

それは、苦しみであったり、悲しみであったり、怒りであったりするかも知れません。

何かにつけ責めるような、奇妙な態度があなたの中に顔を出すのであれば、あなたの本当の役目は、何かを批判することではなく、自分自身を癒すことです。

あなたの中の抑圧された感情を掘り起こし、そのやめられない批判が一体何に由来しているのか?を見つけてあげるという大仕事が、そこには残っています。

どうぞそれに取り組み、そしてしっかりと癒してあげてください。

それは、あなたが助けてあげなければいけない人物が一番近くにおりますよというサインであり、内なるあなたからの心の叫びでもあります。

或いは、もう一つ考えられるのは、もしかしたらあなたは未だ、何も構築していないということです。

構築作業の途中段階で、自分の展開する批判演説にエゴが陶酔してしまい、惚れ込んだ髪型チェックに夢中になってしまうという落とし穴です。

エゴは、自分の頭が崩れてしまうほどの「強風」や「逆風」は恐れるものの、それが崩される心配のない“そよ風”ならば、安心してその中に飛び込んでいきたくなるものです。

なぜなら、自分の概念を揺るがす心配のない優しい向かい風なら、むしろその髪型を美しく引き立ててくれることを、エゴは知っているからです。

そうするとエゴは、ささやくような優しいそよ風を求めて、あちこち放浪してしまうことになります。

もしもあなたが、少しでもそんな状況に置かれているような気がするのであれば、どうぞ思い出してみてください。

そんな時のあなたは、「あくまで確認作業」の真っ最中なのだということを。

“真の目的”は、別のところにある、ということを。

その自覚こそが、あなたを目覚めさせ、あなたの意識は“相手”から“自分”へと、ピントを元に戻し始めることができます。

そこからが、自分自身の再構築のはじまりです。

あなたの魂は、批判家の旅がやがて終わりになることを望んでいます。

それが、「真摯に生きる」ということです。

あなたの魂は、あなた自身を実践し、あなた自身を体験するために、ここにやってきました。これこそが、真の目的です。

だからこそあなたには、自分オリジナルの肉体と、自分オリジナルの感受性が与えられています。


あなたが見せられているものは、いつもいつでも『自分』です。

『自分自身を知る旅』の節目に、時々登場する批判家たちは、あなたから卒業する定めにあります。



あなたが『等身大の自分』にピントを戻し、自分を育て始める時、内なる批判家は喜んであなたの中から卒業していきます。



また新たにひとつ、自己を統合し、あなたの知性が拡大していく瞬間なのです。


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