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14.静かな間

  • 執筆者の写真: Bio Sinfonia
    Bio Sinfonia
  • 2012年10月2日
  • 読了時間: 8分

更新日:2022年1月2日


一日の中で、あなたは今、どれほど自分自身に“静かな間(ま)”を与えてあげられているでしょうか?

美味しく栄養のある食べ物を食べるように、澄んだ空気を呼吸するように、綺麗なお水を飲むように、あなたにとって"静かな間"というものは、本来与えられる必要のある栄養源です。

しかしながら今この時代においては、そんな"静かな間"を取ることさえも、簡単ではなくなっている人が大多数を占めています。

時間や空間は様々なモノによって埋め尽くされ、それによってはじき出される雑音の洪水が、あなたを飲みこんでいくことでしょう。

街を歩けば、店に入れば、家に帰ってTVをつければ、否応なくあなたの中には大量の情報が流れ込んで来ることになります。

そのほとんどが、あなたにとって必要のない情報です。

そんな大量の情報を上手に取捨選択しなければ、人は人として破綻してしまうことになるでしょう。

本来の原点的な豊かな感受性を保ったまま、そんな世界を生き抜こうとしようものなら、人の心はあっという間に壊れてしまいます。

だからこそ人は、そんな雑踏社会でも生きていけるようにと、自分の感覚を閉ざし、鈍らせてきました。

感覚を鈍磨させ、感受性を眠らせておかなければ、そのような厳しい物質社会の海で生きていくことは出来ないからです。

そして、そんな"閉ざす能力"に長けてきたわたしたちは、やがて感覚を「閉ざしている自覚」すらもなくなってきました。

この無自覚こそが、「自分で自分のことがよく分からない」という効果を生み出しています。

現代人にとって、この雑踏社会に適応する能力とはつまり、自分の芯を強く持ち、健全な境界線を鍛える事ではなく、「本来の豊かな感受性をどれだけ閉ざし、眠らせておくことが出来るか?」という点にかかっているようです。

強い痛みに対抗するための最も優れた対処法として、"持続力のある麻痺作用"という手段が、長らく採用されています。

わたしたち本来の“鋭敏で豊かな心”にとっては、それほどまでに厳しく耐えがたい社会環境であると言えます。

けれどもそろそろ、目覚め始めたあなたにとって、そんな麻痺ライフの限界が見えてきました。

あなたの心が、もうこれ以上埋まりようがないところまで雑音に埋め尽くされた時、言葉にならないような息苦しさを感じ始めることでしょう。

あなたの意識と無意識が、「リセット」を求めて"最初"を探し始めると、原点回帰への本能欲求が姿を現わしてきます。

さて、そもそもこの宇宙の原点は、『無』から生まれたと言われています。

現代の科学が、この宇宙の観測可能な物質という物質を集めて測定してみたところ、わたしたちが認識できるモノというのは、「全てのうちのほんの数%」というわずかな領域でしなかく、「残りの大半」は把握できないものだというのです。

そんな「残りの大半」とは、【目には見えないもの/よく分からないもの/観測不可能なもの】―‥別の言葉で言いかえれば、『無』であるというのです。

この科学の概念が本当かどうかは別としても、このほとんど何もわかっていない『無』という領域に、さらに心を開く意義があるのは確かです。



なぜならそれが、すべてを生みだす源であり、すべてを含んでいる無限の懐だからです。

そして、この世界は『大きな真実の中に、それによく似た小さな真実が入っている』というフラクタルな構造になっていることから、宇宙の中の「よく分からない大半」は、わたしたちの中の「よく分からない大半」について、教えてくれる手がかりにもなります。

そんな宇宙の神秘の在りようは、わたしたちの中に眠る「目覚めていない残りの大半」の神秘を、大いに示唆するものでありましょう。

このフラクタルな宇宙の中で、わたしたちが物質社会の雑踏に飛び込んでいくということはつまり、「すべての自分自身」のうち、表面化されたほんのわずかな数%の中を右往左往することでもあります。

そんな楽しみ方もいいでしょう。

目に見えるものは、あなたの心が、一部 “盲目”だからこそ、楽しめるものでもあります。

しかしながら、もはやそろそろ十分だという、覚めつつあるあなたにとっては、未知なる無限の懐に溶け込んでいく冒険の準備が出来始めたという合図でもありましょう。

そんな自分に気付き始めたあなたならば、ぜひ毎日少しずつ、自分自身に“静かな間”を与えてあげてください。

自ら静寂の中に入っていくという事は、「すべて」の中に溶け込んでいくという事です。

そこには、あなたの求めるものが用意されています。

そろそろ、“間”に何かを詰め込むことをやめてみませんか?

間に何かを詰め込もうとする時、「すべて」であったあなたは、ちょっとだけ盲目になります。

間を何かで埋めようとする、癖に気付いてみてください。

スケジュールに間があると、つい予定を埋めようとはしていませんか?


ちょっと空いたすき間に、ネットやTVのスイッチを入れてしまう反射的なクセはありませんか?


会話の間に生まれるささやかな沈黙に耐えられず、つい言葉を埋め込もうとはしていませんか?

静かな間というものは、「どこか特別なところに行き、特別な何かをすることで、ようやく手に入る」といった類のものではありません。

そんな拍子抜けしてしまうほど、身近なところにある『豊かな栄養源』に、わたしたちが見向きもしなくなったのは、目の前に眩しすぎるほどの物質があふれ返っているからです。


それらは、心が麻痺していても認識できる“物差し群”です。


ですから人は、「目には見えない」という実感の欠如に疑念を抱き、「どこかに行く必要さえない」という手持無沙汰に戸惑い、静かすぎる静寂に漂う孤独の香りに恐怖し、“静かな間”とはどんどん疎遠になってしまうばかりです。

そうなってくると、あなたの中の『豊かな感受性』、『あらゆる能力と力』、『ありとあらゆる可能性』は、ますます深い眠りに落ちていくばかりです。

どうぞ、目覚め始めたあなたこそ、何かをしようとすることのない“静かな間”を、日々の中に設けてあげてください。

そこが、あなたが「全てのあなた」の中に入って行ける“入り口”です。

闇の中で、あなたの雑念を解き放ってみてください。

とっ散らかった雑念を 「コントロールしよう・・」 などとは思わずに、成すがままに、自由に解き放ったまま、雑念のしたいようにさせてあげてください。

そして、あなたは、それらの一部始終を見ていてください。

あなたは、雑念と一緒に雑念の渦中を溺れる人ではなく、そんな“雑多な念”が及ぼす影響を味わいながらも、静かに全てを見届けていられる人です。

あなたの雑多な念が、動き疲れて眠りにつくまで そっと優しく寄り添いながら、そこにただ静寂を注いであげてください。

やがて、そんなエゴが満足し切って安らかな眠りについたところからが、本当のスタートです。

あなたの全ての雑念が沈み切った時、あなたの内側奥深くから、ポーンと浮上してくる純粋なモノを発見できるはずです。

あなたが、あなたに問いかけ始める瞬間です。

『私は、何をやっているのだろうか?』

私は、何がしたいのだろう?

私は、何が欲しいのだろう?

私は、何を感じているのだろう‥?

私は‥?

そんな、あなたの内側から自然と湧き上がってきた、純粋なる『問い』こそが、“あなたの中枢”からの最初のメッセージです。

それは、今現在のあなたが「一体、何を求めているのか?」を、教えてくれるはずです。

本能的とも言える『問い』を見つけた瞬間から、あなたは既に『答え』を手にし始めることになります。

答えは、遅かれ早かれ“あなたの闇”が、必ず教えてくれるはずです。

どんなに難しい問いかけであっても。

一瞬にして即座に答えが返ってくることもあれば、月日がかかることもあるでしょう。

けれども、急いで答えを手にしようと、焦る必要はありません。

なぜなら、そもそも“質問”と“答え”は、あなたの中で一体だからです。


質問も答えも、『あなたにとっての真実』の中に、“対”になって存在しています。

だからこそ、あなたがそれを本気で観察し始めた瞬間から、“質問”と“答え”は同じ波動で振動し始め、互いの絆をたぐりよせ、ついには手と手を取り合うことになります。

そして「わかった」というその瞬間、あなたの目からは大きな鱗が落ちることでしょう。

あなたが外側に在ると思っている答えは、いつもあなたの内側に用意されています。

あなたが何処かに行って何かを通して学ばなければいけないと思っている事は、いつもどこにも行かなくとも、そこで学べるようになっています。

あなたが『すべての領域に息づくあなた』に出会っていきたいと思う時、どうぞ静かな間を味わってみてください。

そこは「何もないところ」ではなく、『全てがあるところ』です。

静寂こそが、あなたに気づきをもたらし、豊かな実感を与えてくれます。

詰め込んだところや、間のないところに、“気づき”や“直感”はおりて来ることは出来ません。

息つく暇もない、体験体験体験体験‥‥の連続に、『学び』が入り込むすき間はありません。

「体験」と「体験」の『間にあるもの』こそが、あなたの気づきを『本物の学び』へと熟成させ、次なるステージに立てるよう、あなたを見せかけではなく、内側から育ててくれます。

あなたという存在を実感するための、一番身近な宇宙が、『豊かな静寂』です。

あなたを力強く目覚めさせ、生きながらにして“全てのあなた”に出会い直す方法は、この雑踏社会から解脱し、あなた自身を「どれだけ“静寂”の中に連れていくことが出来るか?」にかかっています。

心を澄ませ、そっと瞼を閉じたとき―‥。

そこにはもう、

壁も、天井も、床も、窓も‥

どんな“有限”も見えないでしょう?

ここが『無』への入り口です。

『あなたの無限宇宙』は、こんなにも身近なところにありました。

目覚めたあなたの意思と選択によって、如何様にでもなる『創造の源泉』―‥

そんな"豊かな闇"こそ、あなたの"光の創り主"なのです。

 
 
 

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この読み物は、2012年の秋に書き下ろされたものです。当時はタイトルを「少数派のための解脱道」として、旧ウェブサイトの方にアップしていました。

 

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