11.疲労感
- Bio Sinfonia
- 2012年10月4日
- 読了時間: 8分
更新日:9月23日

現代人は、疲れている方が多いようです。
心も体もです。
自分にとっての「大切なこと」に誠実なあなたであっても、自分にとっての「ワクワクすること」に敏感なあなたであっても、疲労感というものは、ふとした瞬間にワッと押し寄せてくるものではないでしょうか?
そんな疲労感とは、どこか切っても切れない腐れ縁が続いていらっしゃる方も多いのかもしれません。
疲労感が押し寄せてくる時の特徴としては、あなたは少々こんがらがった状態にあると言えるかもしれません。
一見、大した問題など抱えていないように思えても、ほんの小さなストレスが積み重なって、さらにそれらが一杯になったところで、あなたは「もう疲れた・・」という言葉を吐くことになります。
それは、まるで、「人生そのもの」に疲れ果ててしまったかのような、重い響きです。
あるいは、そのとき、何かがあなたに追い打ちをかけるかも知れません。
いつもはこんなところでコーヒーをこぼしたりしないのに、いつもはこんなところでお皿を落としたりはしないのに、いつもはこんな単純なミスなんてするわけがないのに・・・
自分のした初歩的なミスに愕然として、あなたは初めて自分の中に溜まりに溜まった疲労感を、認めることになります。
そして、心の中でこう呟くかも知れません。
「どうしてこうなっちゃったの?」と。
しかしながら、そんなときのあなたは、自分に押し寄せた疲労感の原因を、ひとつひとつひも解いていくことなんて、とてもできないでしょう。
なぜなら、疲れているのですから。
今、このような現代人が、あまりにも多いのではないでしょうか。
自分自身に目覚め始めたはずのあなたであっても、ふとした瞬間に、どっと疲労感が押し寄せてきてしまうのは、なぜなのでしょうか?
その経緯こそ、星の数ほど存在する様々なものですが、そのカラクリこそ、たった一つの単純なものです。
それは―‥、
あなたが「やりたくないことをやっているから」。
あなたが言いようのない疲労感を創り出すことができるのは、「やりたくないこと」をやっているがゆえです。
疲労感は、その副産物です。
『やりたいことを、やる』どきに出てくるエネルギーと、「やりたくないけど、しょうがないからやる」ときに出てくるエネルギーとでは、そのエネルギーの源泉が全く違っていることに、あなたはどれほどハッキリ気づいていらっしゃるでしょうか?
それらのエネルギーは、「発電方法」も「消費方法」も、天と地ほどの違いがあります。
本来『やりたいことを、やる』ということは、エネルギーを「消費する」以上に、「生み出す」ことでもあります。
そうやって内側から満杯に満たされることで、あなたはあなたの周囲にも、惜しみなくエネルギーを与えていくことができます。
あなたは今、どれだけ『やりたいこと』をやっているでしょうか?
「やるべきこと」と『やりたいこと』は、どれほどかけ離れているでしょうか?
「やりたいことを実現するためには、まずはその手前でこれをやらなければならない」と思い込んでいる、その“やりたくないこと”とは、一体どんなことでしょうか?
「責任があるから仕方ない」とか「避けられないことだから仕方ない」とか、そんなことは今は考えないでおいてください。
「やりたいか?やりたくないか?」
そんなシンプルな問いに、まずは素直に答えてみることが大切です。
「こんなこと、別にやりたいわけじゃない‥」
そんな正直な気持ちを、発見できるかも知れません。
「食器洗いなんてしたくない‥掃除も雑用もやりたくない」
そんな投げやりな気持ちを、発見できるかも知れません。
「でも、そんなこと言ってたら家の中がゴミ屋敷になっちゃうじゃない!」
などという心配は無用です。
自分が「ただそう思っている」という事実に、ハッキリと気付いてあげることが大切なのです。
安心していただいて大丈夫です。
「食器洗い」という困難が原因で、あなたが疲労感に追い込まれているわけではありません。
「雑用」という困難が原因となって、あなたが打ちのめされている訳でもありません。
そもそも、あなたという生命は、食器洗いや雑用という困難を、困難とも思わず、「辛い」とか「辛くない」とか考えることすらせず、余裕しゃくしゃくでやりこなせるように設計されています。
あなたが『やりたいこと』を十分にやって生きているのであれば、あなたの人生に付随する「なんてことはない雑用」は、痛くもかゆくもありませんし、辛くも苦しくも何ともないはずなのです。
それが「苦痛」となってしまっているとき、あなたは「食器を洗う」という雑用に出くわすよりずっと前から、もうすでに疲れ果てていました。
まずは、それを客観的に知ってみましょう。
『やりたいこと』をやっていたはずなのに、いつの間にか疲れ切っていた・・・というあなたならば、自分がやりたいと思っていることの中に、あなたの小さな「やりたくないこと」が混ざっているはずです。
それを見つけてあげてください。
「これがやりたい!」と純粋な気持ちで始めたはずのことを、いつの間にか「やらねばならない使命」にすり替え、目標達成を強いているのは、誰なのでしょうか?
そして、なぜなのでしょうか?
それに気付いてみてください。
あなたの『やりたいこと』が、無意識のどこかで「やらねばならない、やるべきこと」へとすり替わった途端に、あなたの活動エネルギーの源泉は、『生み出し型』から「枯渇型」へとシフトしてしまっているのです。
『生み出し、与える』ではなく、「ひたすら、すり減る」に、取って変わってしまっているのです。
そして、
「なぁんだ、私は本当は、こんなこと別にやりたくなかったんだ‥!」
という単純明快な気づきが得られたとき、あなたの疲労感は霧が晴れるかのようにスーッと引いていく・・・
そんな不思議な爽快感を味わうことができるでしょう。
しかし、それが分かったからと言って、現実は続いていく‥
やりたいことばかりやって、十分なお金を稼げるわけじゃないし‥
人生、そんなに甘いものではないから‥
という思いの数々が、湧き上がって来るかも知れません。
では、そんな『やりたいことを思い切りやる』ことに挑戦する生き方を、あなたはこれまで十分に納得いくまで、満足いくまで、試してみたことがあったのでしょうか?
ほとんどの人が、そんな挑戦に挑んでくることはありません。
やりたいことをやり続ける人生ではなく、やりたくないことをやり続ける人生、そんなあまりにもハードルの高い挑戦に挑み続けるチャレンジャーが、この社会では圧倒的に多いものです。
ほんの数日間だけなら、人は気持ちよく 「やりたいこと」 をやれるかもしれません。
ちょっとした旅、ちょっとした体験、
待ちに待った特別なイベント、
休暇中のスペシャルな時間・・・
しかし、そんな「いつもとは違う贅沢な時間」が終わったなら、また「再び現実に戻るんだ」ということが分かっています。
変わらない日常が、用意されていることを知っています。
なぜならそれは、「自分で自分に用意している日常」だからです。
「自分で設定している現実」だからです。
だからこそ自分自身の奥深くから、しみじみとよく分かっています、
「好きな事だけやって生きるのは所詮、無理である」と。
それは「自分の設定」に基づいた「自分の確信」なのだから、自分で壊さない限り、あなたの確信は揺らぐことはないでしょう。
そして、そんな「確信崩し」に、他人が積極的に協力してくれることは、ほとんどありません。
そのような期待は持たないでおいた方が賢明です。
なぜなら皆、「やりたくないことをやり続ける」という過酷な挑戦に、足並みそろえて夢中になっているのですから。
人は皆、誰でも「やりたいことばかりをやり続ける人生なんて無理」という設定の中に、自ら飛び込んでいく自由が与えられています。
そして、自分の創った制限の世界を、生きていくことができます。
であるならば、そんな初期設定を白紙に戻すことも、あなたであるならば自由にできるわけです。
あなたが、自分に対する「いらない設定」をリセットすることを決めた時、あなたの知らなかった新しい選択肢は、思いもよらないギフトをたずさえ、ひょっこり顔を出し、あなたを驚かせる準備ができています。
あなたがもし、自分に与えられるプレゼントの中身を、毎回毎回、同じように予想できてしまったならば、あなたは徐々に、それが【ギフト】であることを忘れていくのではないでしょうか?
わたしたちは、毎日・毎瞬、この瞬間もギフトに囲まれ、奇跡に囲まれ、生きています。
奇跡とは「出来事」のことではなく、【それが起きていることに気づける心の動き】のことです。
与えられたものの中身が、開けてみるまで全く予想がつかずにあなたの心をワクワクさせたとき、あなたはそれを思わず『ギフト!』と呼びたくなるのではないでしょうか。
見慣れたはずの景色が、なぜか新鮮に目に映る時、その美しさが『奇跡!』に思えてくるのではないでしょうか。
あなたが疲労感でいっぱいの時、そんなギフトや奇跡から、ちょっと遠い所まで来てしまったのかもしれません。
そんな時こそ、あなたの一番やりたいことをやってください。
どんなに小さく、どんなに些細なことであっても。
それが昼寝や散歩といった、あまり大したことではないように思えるものであっても。
「自分のやりたいこと」に対して、あなた自身が誠実になる時、あなたのエネルギーの源泉は、「枯渇型」から『生み出し型』へと、原点回帰していくことができるのです。
ですから、やりたいことをやりましょう。
やりたいことを、後回しにするのはやめましょう。
そして、「そんなことは分かり切っている」という繰り返される制約の世界から、『やってみながら体験する』という、未知にゆだねる現実へと、そろそろ移行してみませんか。
そこは、あなたが「好きなこと、知ってること」を、自ら選んで実行する喜びに加え、あなたが「まだ見ぬやりたいこと、新たに挑戦したいこと」がギフトのように転がり込んでくる、【わからない現実】にワクワクさせられる新感覚の体験世界です。
そのとき、あなたは、“疲労感”という言葉を忘れるでしょう。
『やりたいことを、やる』
その際に、自然と生み出される爆発的なエネルギーの"余剰分"が、「全てのやるべきこと」を難なくこなすための推進力となり、あなたの人生を楽々と動かし始めるのです。


