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6.正しさの消滅

  • 執筆者の写真: Bio Sinfonia
    Bio Sinfonia
  • 2012年10月8日
  • 読了時間: 5分

更新日:9月21日


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わたしたちが悲劇をつくり出すことができるのは、「正しさ」という虚像の概念を大切に持っているからこそです。

人は正しさを求め、正しい側であろうとし、正しい行いをしようと心がけます。

それが苦しみのはじまりです。

なぜなら、自分が自分でなくなるからです。

「正しいことなど、存在しない」

この考えを、あなたはどこまで受け入れることができるでしょうか?

この考えの全てを受け入れてしまったなら、あらゆる「善なる活動」の大義名分は、消えてなくなります。

その時、あなたは何をするでしょうか?

虚像である大義名分を、意識の中で手放すことができたとき、あなたは「自分自身の活動のエネルギーが、一体どこから生まれていたのか?」を自分自身に問い直し、また一段と深く自分を知ることができます。

たとえば、ふと目の前に、目の覚めるような美しい草花を見つけたとしましょう。


あなたの心は、その美しさに感銘を受けたとします。

すると、そこに隣人がやってきて、あなたに対して丁寧に挨拶をします。その足元では、美しい草花を踏みつけているとは知らずに・・あなたと笑顔の挨拶を交わすことに夢中です。


やがて、その隣人が去っていったあと、あなたはつぶれかけた草花に気がついて、こう思うかも知れません。

あぁ、この草花を、「どうすればいいだろうか?」と。

踏みつけられて茎が折れかけているのだから、ハサミで切って花瓶に生けた方がいいだろうか?

それとも、そっとしておいて自然の力に任せるのがいいのだろうか?‥と。

このような「どちらの方がいいだろうか?」という思考には、残念ながら大きな意味はありません。


「いいか、わるいか」という天瓶思考は、実体のない虚像です。


なぜなら、あなたの【真の実感】は、その“正邪の部分”に息づいているわけではないからです。


もしも、花を花瓶に生けて、その美しさに幸せを感じたのなら、「あなたの内なる喜び」という実感が、あなたを満たすことでしょう。


もしも、花をそのままにして、そっと祈りをささげたなら、「あなたの願い」という実感が、あなたの中に満ちることでしょう。


このようなことだけが、そこにある全てです。


「どちらがいいのか?」「そうしたほうがいいだろうか?」という問いに対する"正解"は、どこにも用意されていません。

しかしながら、もしもあなたが「正解が用意されている」気がするのだとしたら、それは、物心ついたころからの「周囲からの刷り込み体験」による、幻想的な感覚が再燃しているに過ぎません。

そんな正しさを実行して得られるものとは、かりそめの安心感かも知れません。


「きっとこれでいいのだ」「正しいことができたのだ」という、ホッとするような安心感です。

小さなころから手探りでやってきた、「これなら大丈夫なはずだ」「こうすれば間違いではないだろう」という、恐れから逃げ切ることができた解放感です。

そんなかりそめの安らぎは、しばしばあなたを優しい毛布で包んでくれたかも知れません。

しかしそれも、あなたの成長と共に固い鎧に変わり果て、いつしかあなたに「こうする"べき"」という不思議な言葉を吐かせるようになりました。

「こうするべき」「それは間違い」「こっちが正解」「正しくはこう」という概念の数々は、どれも『ある観察点から見た、ひとつの個性』に過ぎません。

それぞれの観測者の“表現”に過ぎないのです。

“表現”とは、【芸術】のことです。

芸術に、正解はありません。

この世界では「正しさ」という虚の概念が、丸い星を縦横無尽に刻みこんで区別し、あなたを何度でも盲目にさせようとします。

けれども、そんな既成概念を、そっと横に置いて、その向こう側にあるものを見てみてください。

いいか悪いか、正しいか正しくないか、ではなく。

『それについて、自分は一体なにを感じるのか?』と。

そこに意識を向けてみてください。

ある物事には、怒りが込み上げてくるかも知れません。

ある物事には、深い悲しみを発見するかも知れません。

ある物事には、言いようのない罪悪感が湧き上がって来るかも知れません。

ある物事には、自分の実感など何もないことに気付くかも知れません。

ある物事には、忘れていた感謝の気持ちが溢れてくるかも知れません。

そんな【実感】こそが、あなたにとっての「ソレに対する唯一の価値観」です。

それは「あなたが、どういう人間であるか?」というストーリーを、あなた自身に見せてくれる“糸口”として、そこに存在しています。


あなたの中の正しさは、「あなたのルーツ」を発見するための“糸口”です。


「正しさ」という顔をした“糸口”たちは、あなたが【あなたについての理解を深める】その瞬間のために存在してくれています。


消滅する時を待ちながら・・

あなたの持つ正しさが「一体、何に由来しているのか?」を、真に発見することができたとき、あなたは「正しさ」という虚像を介することなく、いつも【それ自体】をありのままに眺め、感じ、体験することのできる透明な心の窓を、またひとつ手に入れることになります。


あなたの中の「正しさ」が消滅した時、あなたの世界はまた一段と、広く丸くなるでしょう。


正しさの反対側にあるのは、別の正しさであることを、

エゴの反対側にあるものは、別のエゴであることを、

悪の反対側にあるものは、正義という名の別の悪であることを・・・

発見しては、理解を深め、正しさを失い、そのたびに広く丸くなった世界を、自分自身の内側に広げていかれることでしょう。


正しさ、間違い、善悪、正邪の虚像を越えて、360度の自由な観察フィールドに飛び出すとき、あなたは『平和』というものが、こんなにも近くにあったことに驚かれるはずです

その時あなたは、戦う理由も、対立する必要もなくなり、ただそこに【あなたの命】として存在しています。

あなたの中にあった「正しさ」が消滅するたびに、あなたのエネルギーはますます軽くなり、【内なる無限】という意識空間に、あなたの愛と平安が拡大してくのです。


 
 

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