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6.正しさの消滅


わたしたちが悲劇をつくり出すことが出来るのは、「正しさ」という虚像の概念を、大切に持っているからです。

人は正しさを求め、正しい側であろうとし、正しい行いをしようと心がけます。

それが苦しみのはじまりです。

なぜなら、自分が自分でなくなるからです。

「正しいことなど、存在しない」

この考えを、あなたはどこまで受け入れることが出来るでしょうか?

この考えの全てを受け入れてしまったなら、あらゆる「善なる活動」の大義名分は、消えてなくなります。

その時、あなたは何をするでしょうか?

虚像である大義名分を、意識の中で手放すことが出来た時、あなたは自分自身の「活動のエネルギーが、一体どこから生まれていたのか?」を自分自身に問い直し、また一段と深く自分を知ることができます。

ふと、目の覚めるような美しい草花を見つけたとしましょう。

そこに隣人がやってきて、あなたに対して丁寧に挨拶をします。その足元では、美しい草花を踏みつけているとは知らずに・・あなたと笑顔の挨拶を交わすことに夢中です。やがて、その人が去っていった後、あなたは思うかも知れません。

この草花を、「どうすればいいだろうか?」と。

踏みつけられて茎が折れかけているのだから、ハサミで切って花瓶に生けた方がいいだろうか?

それとも、そっとしておいて自然の力に任せるのがいいのだろうか?‥と。

このような「どちらの方がいいだろうか?」という思考には、残念ながら大きな意味はありません。

「いいか、わるいか」という天瓶思考は、実体のない虚像です。

なぜなら、あなたの『実感』は、その“正邪の部分”に息づいているわけではないからです。

もしも花を花瓶に生けて、その美しさに幸せを感じたのなら、「あなたの内なる喜び」という実感が、あなたを満たすことでしょう。

もしも花をそのままにして、祈りをささげたなら、「あなたの願い」という実感が、あなたに満ちることでしょう。

このようなことだけが、そこにある全てです。

「どちらがいいのか?」「そうしたほうがいいだろうか?」という問いに対する"正解"は、どこにも用意されていません。

しかしながら、もしもあなたが『正解が用意されている』と感じるのだとしたら、それは物心ついた頃からの“周囲からの刷り込み体験”による、幻想的な感覚が再燃しているに過ぎません。

そんな正しさを実行して得られるものは、仮初めの安心感かも知れません。「きっとこれでいいのだ」「正しいことが出来たのだ」という、ホッとするような安心感です。

小さなころから手探りで探ってきた「これなら大丈夫なはずだ」「こうすれば間違いではないだろう」‥という、恐れから逃げ切ることが出来た時の解放感です。

そんな仮初めの安らぎは、しばしばあなたを優しい毛布で包んでくれたかも知れません。

しかしそれも、あなたの成長と共に固い鎧に変わり果て、いつしかあなたに「こうする"べき"」という不思議な言葉を吐かせるようになりました。

「こうするべき」「それは間違い」「こっちが正解」「正しくはこう」という概念の数々は、どれも『ある観察点から見た、ひとつの個性』に過ぎません。

それぞれの観測者の“表現”に過ぎないのです。

“表現”とは、『芸術』のことです。

芸術に正解はありません。

この世界では「正しさ」という虚の概念が、丸い星を縦横無尽に刻みこんで区別し、あなたを何度でも盲目にさせようとします。

けれども、そんな既成概念を、そっと横に置いて、その向こう側にあるものを見てみてください。

いいか悪いか、正しいか正しくないか、ではなく。

『それについて、自分は一体なにを感じるのか?』

について、意識を向けてみてください。

ある物事には、怒りが込み上げてくるかも知れません。

ある物事には、深い悲しみを発見するかも知れません。

ある物事には、言いようのない罪悪感が湧き上がって来るかも知れません。

ある物事には、自分の実感など何もないことに気付くかも知れません。

ある物事には、忘れていた誰かへの感謝の気持ちが溢れてくるかも知れません。

そんな『実感』こそが、あなたにとっての“それに対する唯一の価値観”です。

それは『あなたが、どういう人間であるのか?』というストーリーを、あなた自身に見せてくれる“糸口”として、そこに存在しています。

あなたの中の正しさは「あなたのルーツ」を発見するための“糸口”です。

“正しさ”という顔をした“糸口”たちは、あなたが『あなた』について理解を深める、その瞬間のために存在しています。

消滅する時を待ちながら・・

あなたの持つ正しさが「一体、何に由来しているのか?」を、真に発見することが出来た時、あなたは“正しさと”いう虚像を介することなく、いつも“それ自体”をありのままに眺め、感じ、体験することのできる透明な心の窓を、またひとつ手に入れることになります。

あなたの中の“正しさ”が消滅した時、あなたの世界はまた一段と、広く丸くなるでしょう。

正しさの反対側にあるのは、別の正しさであることを、

エゴの反対側にあるものは、別のエゴであることを、

悪の反対側にあるものは、正義という名の別の悪であることを・・・

発見しては、理解を深め、正しさを失い、そのたびに広く丸くなった世界を、自己の内側に広げていかれることでしょう。

正しさ、間違い、善悪、正邪の虚像を越えて、360度の自由な観察フィールドに飛び出す時、あなたは平和というものが、こんなにも近くにあったことに驚かれることでしょう。

その時あなたは、戦う理由も、対立する必要もなくなり、ただそこに『あなた』として存在しています。

あなたの中にある「正しさ」が消滅する度に、あなたのエネルギーは軽くなり、豊かになり、あなたの内なる愛と自由と平安がどこまでも拡大していくことでしょう。

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