14.静かな間
- Bio Sinfonia
- 2012年10月2日
- 読了時間: 8分
更新日:9月23日

一日の中で、あなたは今、どれほど自分自身に対して「静かな間(ま)」を与えてあげているでしょうか?
美味しくて栄養のある食べ物を食べるように、澄んだ空気を呼吸するように、綺麗なお水を飲むように、「静かな間」というものは、あなたにとって本来与えられる必要のある栄養源です。
しかしながら、今この時代においては、そんな「静かな間」を取ることさえも、簡単ではなくなっている人が大多数を占めています。
時間や空間は、さまざまなモノによって埋め尽くされ、それらによってはじき出される雑音の洪水が、あなたを飲みこんでいくことでしょう。
街を歩けば、 店に入れば、 家に帰ってテレビをつければ、 否応なくあなたの中には大量の情報が流れ込んで来ることになります。
そのほとんどが、あなたにとって必要のない情報です。
そんな大量の情報を上手に取捨選択しなければ、人は人として破綻してしまうことになるでしょう。
本来の原点的な豊かな感受性を保ったまま、そんな世界を生き抜こうとしようものなら、人の心はあっという間に壊れてしまいます。
だからこそ人は、そんな雑踏社会でも生きていけるようにと、自分の感覚を閉ざし、鈍らせてきました。
感覚を鈍磨させ、感受性を眠らせておかなければ、そのような厳しい物質社会の海で生きていくことはできないからです。
そして、そんな「閉ざす能力」に長けてきた私たちは、やがて感覚を「閉ざしている自覚」すらもなくなってきました。
この無自覚こそが、「自分で自分のことがよくわからない」という効果を生み出しています。
現代人にとって、このような雑踏社会に適応する能力とはつまり、自分の芯を強く持ち、健全な境界線を鍛えることではなく、「本来の豊かな感受性をどれだけ閉ざし、眠らせておくことができるか?」という点にかかっているようです。
強い痛みに対抗するための最も優れた対処法として、「持続力のある麻痺作用」という手段が、長らく採用されてきました。
わたしたちが本来持っている「鋭敏で豊かな心」にとっては、それほどまでに厳しく耐えがたい社会環境であると言えます。
けれども、そろそろ、目覚め始めたあなたにとって、そんな麻痺ライフの限界が見えてきました。
あなたの心が、もうこれ以上埋まりようがないところまで雑音に埋め尽くされたとき、言葉にならないような息苦しさを感じ始めることでしょう。
あなたの意識と無意識が、「リセット」を求めて、"最初の地点"を探し始めると、原点回帰への本能欲求が姿を現わしてきます。
さて、そもそもこの宇宙の原点は、『無』から生まれたとも言われています。
現代の科学が、この宇宙の観測可能な物質という物質を集めて測定してみたところ、わたしたちが認識できるモノというのは、「すべてのうちのほんの数%」という、わずかな領域でしかなく、「残りの大半」は把握できないものだというのです。
そんな「残りの大半」とは、【目には見えないもの/よく分からないもの/観測不可能なもの】―‥別の言葉で言いかえれば、『無』であるというのです。
この科学の概念が本当かどうかは別としても、このほとんど何もわかっていない『無』という領域に、さらに心を開いてみる意義はありそうです。
なぜなら、そこが、すべてを生みだす【源】であり、すべてを含んでいる【無限の懐】だからです。
そして、この世界は、「大きな真実の中に、それによく似た小さな真実が入っている」という、フラクタルな構造になっていることから、宇宙の中の「よく分からない大半」は、わたしたちの中の「よく分からない大半」について、教えてくれる手がかりにもなります。
そんな宇宙の神秘の在りようは、私たちの中に眠る 「目覚めていない残りの大半」の神秘を、大いに示唆するものでありましょう。
このフラクタルな宇宙の中で、わたしたちが「物質社会の雑踏に飛び込んでいく」ということはつまり、【すべての自分自身】のうち、表面化されたほんのわずかな数%の中を右往左往することでもあります。
そんな楽しみ方もいいでしょう。
目に見えるものは、あなたの心が、一部 “盲目”だからこそ、楽しめるものでもあります。
しかしながら、もはやそろそろ十分だという、覚めつつあるあなたにとっては、未知なる【無限の懐】に溶け込んでいく、冒険の準備ができ始めたという合図でもありましょう。
そんな自分に気付き始めたあなたならば、ぜひ毎日すこしずつ、自分自身に「静かな間」を与えてあげてください。
自ら静寂の中に入っていくということは、【すべて】の中に溶け込んでいくということです。
そこには、あなたの求めるものが用意されています。
そろそろ、「間(ま)」に何かを詰め込むことをやめてみませんか?
「間(ま)」に何かを詰め込もうとするとき、【すべて】であったあなたは、ちょっとだけ盲目になります。
間を何かで埋めようとする癖に、意識的に気づいてみてください。
スケジュールに間があると、つい予定を埋めようとはしていませんか?
ちょっと空いたすき間に、ネットやテレビのスイッチを入れてしまう反射的なクセはありませんか?
会話の間に生まれるささやかな沈黙に耐えられず、つい言葉を埋め込もうとはしていませんか?
静かな間というものは、「どこか特別なところに行き、特別な何かをすることで、ようやく手に入る・・・」といった類のものではありません。
どこにも行かずに、なんの努力もなく、すぐに手に入るものです。
そんな拍子抜けしてしまうほど、身近なところにある『豊かな栄養源』に、わたしたちが見向きもしなくなったのは、目の前に眩しすぎるほどの物質があふれ返っているからです。
それらは、心が麻痺していても認識できる“物差し群”です。
ですから人は、「目には見えない」という実感の欠如に疑念を抱き、「どこかに行く必要さえない」という手持無沙汰に戸惑い、静かすぎる静寂に漂う孤独の香りに恐怖し、「静かな間」とはどんどん疎遠になってしまうばかりです。
そうなってくると、あなたの中の『豊かな感受性』、『あらゆる能力と力』、『ありとあらゆる可能性』は、ますます深い眠りに落ちてしまうばかりです。
どうぞ、目覚め始めたあなたこそ、何かをしようとすることのない「静かな間」を、日々の中に設けてあげてください。
そこが、あなたが【全てのあなた】の中に入って行ける「入り口」です。
闇の中で、あなたの雑念を解き放ってみてください。
とっ散らかった雑念を 「コントロールしよう」 などとは思わずに、成すがままに、自由に解き放ったまま、雑念のしたいようにさせてあげてください。
そして、あなたは、それらの一部始終を見ていてください。
あなたは、雑念と一緒に雑念の渦中を溺れる人ではなく、そんな“雑多な念”が及ぼす影響を味わいながらも、静かに全てを見届けていられる人です。
あなたの雑多な念が、動き疲れて眠りにつくまで そっと優しく寄り添いながら、そこにただ、「静寂」を注いであげてください。
やがて、そんなエゴが満足し切って安らかな眠りについたところからが、本当のスタートです。
あなたの全ての雑念が沈み切った時、あなたの内側奥深くから、ポーンと浮上してくる純粋なモノを発見できるはずです。
あなたが、あなたに問いかけ始める瞬間です。
「私は、何をやっているのだろうか?」
私は、何がしたいのだろうか?
私は、何が欲しいのだろうか?
私は、何を感じているのだろうか‥?
私は‥?
そんな、あなたの内側から自然と湧き上がってきた、純粋な『問い』こそが、あなたの【中枢】からの最初のメッセージです。
それは、今現在のあなたが、「一体、何を求めているのか?」を、教えてくれるはずです。
本能的とも言える『問い』を見つけた瞬間から、あなたはすでに『答え』を手にし始めることになります。
答えは、遅かれ早かれ【あなたの闇】が、必ず教えてくれるはずです。
どんなに難しい問いかけであっても。
一瞬にして即座に答えが返ってくることもあれば、月日がかかることもあるでしょう。
けれども、急いで答えを手にしようと、焦る必要はありません。
なぜなら、そもそも「質問」と「答え」は、あなたの中で【一体】だからです。
質問も答えも、『あなたにとっての真実』の中に、【対】になって存在しています。
だからこそ、あなたがそれを本気で観察し始めた瞬間から、「質問」 と「 答え」は同じ波動で振動し始め、互いの絆をたぐり寄せ、ついには手と手を取り合うことになります。
そして、【わかった】というその瞬間、あなたの目からは大きな鱗が落ちることでしょう。
あなたが外側に在ると思っていた答えは、いつもあなたの内側に用意されています。
あなたが「どこかに行って、何かを通して学ばなければいけない」と思っていることは、いつもどこにも行かなくとも、そこで学べるようになっています。
あなたが、【すべての領域に息づくあなた】に出会っていきたいと思うとき、どうぞ「静かな間」を味わってみてください。
そこは「何もないところ」ではなく、『全てがあるところ』です。
静寂こそが、あなたに気づきをもたらし、豊かな実感を与えてくれます。
詰め込んだところや、間のないところに、「気づき」や「直感」はおりて来ることはできません。
息つく暇もない、体験体験体験体験‥‥の連続に、『学び』が入り込むすき間はありません。
「体験」と「体験」の、【間にあるもの】こそが、あなたの気づきを『本物の学び』へと成熟させ、次なるステージに立てるよう、あなたを見せかけではなく、内側から育ててくれます。
あなたという存在を実感するための、一番身近な宇宙が、『豊かな静寂』です。
あなたを力強く目覚めさせ、生きながらにして 【 全てのあなた 】 に出会い直す方法は、この雑踏社会から解脱し、あなた自身を「どれだけ【静寂】の中に連れていくことができるか?」にかかっています。
心を澄ませ、そっと瞼を閉じたとき―‥
そこにはもう、
壁も、天井も、床も、窓も‥
どんな“有限”も見えないでしょう?
ここが【無】への入り口です。
『あなたの無限宇宙』は、こんなにも身近なところにありました。
目覚めたあなたの意思と選択によって、如何様にでもなる『創造の源泉』―‥
そんな【豊かな闇】こそ、あなたの光の創り主なのです。


