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執筆者の写真Bio Sinfonia

英雄物語からの卒業




人間なら誰しも、何らかの有名人やアーティスト、実際には会ったことのないカリスマ的な人物に憧れた経験が、一度や二度はあるものではないでしょうか。


特に、若い頃であればあるほど、ヒーロー的な存在への憧れの念を抱きやすいもので、それはある意味「自分自身という人間性」を育てる上での、自然な成長過程でもあります。


そして、そのような『思い』の数々は、大人へと向かって年を重ねるにつれて、自然と変化していくものでもあります。


数多くの経験を積んで、内面が成熟していくと、人間というものを深く知るようになり、物事を多角的に熟慮できるようになるため、「英雄」や「ヒーロー」や「アイドル」や「カリスマ」などの幻想にも気付き、そのような偶像崇拝的な観念が、どこかのタイミングでいい意味で崩壊するようになります。


しかしながら、近年のデジタル・バーチャル・シミュレーションワールドでは、幻想から覚めるタイミングを見失いがちです。


十分に成熟したかのような大人であっても、幻を見せられてばかりの社会構造が出来上がっているおかげで、甘い夢に幾度も誘い込まれたり、様々な形での偶像崇拝が私たちの意識の中へと深く入り込んでいる状態です。


2020年から開催された「偽パンデミック」でも、まさにこの特徴が顕著に表れたのではないでしょうか。


人々が恐怖や不安でいっぱいになっている中で、彗星のごとく現れた活動家たちは、ヒーローや英雄と呼ぶにはピッタリの存在に見えました。


しかし、偽パンデミックの勃発から1年が経ち、2年が経ち、「明らかに何かがおかしいぞ・・」と気づく人が増え始め、3年が経った2023年現在では、もはや以下のようなテンプレートは「テッパン」とも言えそうなほど、シナリオの輪郭がくっきりと見えるようになってきたのではないでしょうか。



パンデミックが事実であることを信じ、「ワクチンが良いものだ」と信じている一般層に向けたヒーローたちが、テレビや新聞や大手ネットメディアでたくさん紹介されていたように、「パンデミックは茶番で、ワクチンは有害だ」と気づいている層を対象としたヒーローたちも、YouTubeやニコニコ動画、ツイッターなどの様々な参加型メディアで盛んに宣伝されていました。


両者は一見、正反対で対立しているかのような構図でありながら、どちらの層も「ウイルスの存在を信じる」という点において一致しており、ウイルス産業とそれにまつわる有害な産業を支え、デジタル奴隷社会を後押した点でも一致していました。


TVや新聞を鵜呑みにしている人たちがまるまる騙されている姿を見て、痛ましく思っていたというのに、まさかこっち側でも同じ構図が展開されていたとは、実際に体験してみて学習するまでは、なかなかこの仕組みに気づけなかったのではないでしょうか。


様々な偽情報を使って、人々を翻弄させる活動を、わざとやってるにせよ、わざとではなく天然でやっているにせよ、「ウイルスがない」ことを暴露できないフェイク・ヒーローたちが、今後私たちをどこに連れて行こうとするのか?を考えてみれば、それは真実の道ではないことは明らかです。


なぜ彼らは、「ウイルスはない」とは言わずに、「風邪の一種だ」と説明するのでしょうか?


「本当はウイルスなど存在していない」と言えばいいものを、なぜ「本当はコロナは怖くない。インフルエンザと比べて・・」と、他の架空のウイルスを持ちだして、比較解説を始めるのでしょう?


「ウイルスがないんだから、未来永劫、全てのワクチンを打つ意味がない」と言えば一番シンプルなのに、なぜわざわざウイルス学の枠組みに浸かったまま「このワクチンの、ここが危険で・・」と、架空の話に付き合いながらの批判を続けるのか?


そして、真実の本質をうやむやにしながら「とにかく団結しよう」「分断はやめよう」と迫るのは、なぜなのか?・・


ひとつひとつの違和感を突き詰めていくことができれば、数々の「なぜ?」に対して、自分自身で答えを出せるようになります。




しかし、ここで大きなテーマとなるのが、自分の中に生じる、様々な感情との向き合い方です。


自分が好意的に思っていた人物や、ヒーローだと思って応援していた人物が、


「実際には、そんな人じゃなかった・・」


と気づいた時に、自分の心の内側では、様々な感情的な葛藤が巻き起こるものです。


「マジか!騙されたぞ‥!」

「くそ~!信じてたのに!」


・・と、カラっとした後腐れのない怒りや、竹を割ったような悔しさなどを素直に感じられるなら、なかなか健康的ですが、今の時代はこのような素直な気持ちをストレートに感じられる人は、むしろ稀かもしれません。


それよりも「とにかくモヤモヤする」という、よく分からない感情の渦に留まるだけの方々が圧倒的に大多数です。


その事実を「受け入れるか?受け入れないか?」はもちろん、「その事実を、見るか?見ないか?」の選択さえ、潜在意識でうやむやにしている状態です。


どのような感情反応が起こるのか?は、本当に人それぞれですが、いずれにしても『未消化の感情』が自分の中に残ってしまうと、心にも体にも様々な影響を及ぼします。


次に、ようやくその事実を見ることができたとしても、「あぁ、ショック!」と素直に思う感情体験を通過することができず、感情を処理できないまま身動きが取れなくなることもあります。


「受け入れたくない」というわけでもないのに、感情的なギャップがなかなか埋められなかったり、どのように気持ちを整理していいのか分からず、自分の中の何かを否定も肯定もできずに、フリーズしてしまうような状況です。


間違うことの素晴らしさや、失敗することの価値に対して目が覚めていないと、自分の中にあった何かを「いい意味で」否定しようとしたり、考えを変えようとするだけでも、自分の全てが崩壊してしまうかのような、得も言われぬ不安感にさいなまれてしまうことがあります。



しかし、そんな不安も焦りも、本当に無用なのです。


自分が、がつて尊敬していた誰かに影響を受けたことで、「自分の中に芽生えた純粋な気持ち」や、「それに関連して学んだこと」や、「前向きになれた何か」というのは、まぎれもなく大切なものです。


そんな大切なものや、素敵なものまで、否定したり“ダメなもの扱い”する必要は、全くありません。


人は、「相手」という鏡を通して、自分の中に何かを見いだし、成長したり学んだり、気持ちを育てたり、行動を起こしたり、元気や癒しをもらったりします。


「誰か」というその存在は、あくまで自分の内面にある何かを掘り起こすために、そこに現れてくれる『トリガー』のような存在です。


憧れのあの人も、嫌いなあの人も。

仕事でやりとりする様々な人たちも。

家族も友人も、パートナーも子どもも。

アーティストも、アイドルも。


そして、フェイク・ヒーローたちも。


ありとあらゆる周囲の皆さんは、あなたの内側が成長するのを様々な形でお手伝いしてくれている、ありがたい存在でもあるのです。


そして、いつまでも「相手という鏡」を通して、“自分の何か”を投影し続ける必要はありません。


相手の中に見出したその光を、しっかりと『自分のもの』にしていいのです。


自分の力にして、自分を高め、自分自身がそうなる。


「相手」という鏡を通して授かった様々なものを、『自分の糧』にする。


そうやって人は一生かけて、自分自身を成長させていくことができます。


すべては、その過程で生じる、体験の一環なのです。


そのような自分自身の内なる成長過程に対して、しっかり目を開いていくと、感情的なギャップや葛藤も、だんだん和らいでいき、そんな『相手』に対しても、「ありがとう」「さようなら」という、しみじみとした感謝の気持ちが湧いてくるものです。



ここ数年、厳しい現実をありありと見せつけられ、感情的な葛藤が生じた機会は、なにも陰謀論界のカリスマたちに対してだけではなかったと思います。


仲の良かったはずのお友達や、気の知れた家族や親族、尊敬していた誰かに対して、「思っていたような人ではなかった‥」とショックを受けたり、愕然としたり。そんな経験を、多くの方々がされてきたことと思います。


もしも自分の中に、「未消化の感情がありそうだな」と感じられる場合は、ぜひ静かな時間をゆっくりとって、自分の気持ちを内観されてみてください。


ちょっと引っかかっていた『誰か』にフォーカスするのもいいでしょう。


ネットに書き込むのではなく、自分だけしか読まない自分だけのノートに、ありとあらゆる本心を書き出してみて、静かに内観を始めれば、そこから様々な深層心理に辿り着く道が開けます。


良いことも悪いことも、悲しかったことも嬉しかったことも、どんな悪態も、ありのままに書き出してみるとよいでしょう。



そして、そこから、最終的に自分が吸収できる光や糧を見いだし、意識の中で感謝することができれば、抑圧していた感情や相手への執着心も手放すことができ、あとは自由にその経験から卒業していくだけです。


自分の中の感情たちが消化されて、有意義な形へと昇華されると、心も体も驚くほど軽くなって、さらにエネルギッシュになります。


すると、自分のやるべきことが、自然と分かるようになります。




そして今、真実に対して少しでも心を開いている私たち、一人一人が、なによりきちんと念頭においておかなければならない大切な視点があると思います。


今回の偽パンデミックの最大の学びである【ウイルスがない】という事実が、「ワクチンは有害だ」と思っている人たちの層に向けてきちんと周知されなければ、必ずまた次の偽パンデミックで人々は豪快に騙されてしまうということです。


そして、そんな次なる偽パンデミックが起こった際に、真っ先に英雄として祭り上げられるのは、今回のコロナ禍で「ウイルス学のニセ科学に付き合いながらワクチン批判を続けたフェイク・ヒーローたち」です。


豚インフルエンザの際に脚光を浴びたDr.ウォルフガング・ヴォダーグが、2020年に真っ先に英雄視されたように。


日本にはもちろん、世界各地に存在する彼らと似たようなスタンスの英雄たちが、その態度を「わざとやっているのかどうか?」は別にしても、ウイルスの存在問題をうやむやにすることによって、ウイルス産業を持続可能にし、それにぶら下がる抗菌・除菌産業を持続可能にし、永遠になくならないワクチンへの批判を小出しにし続けるヒーロー役をも持続可能にします。



「ウイルスがない」という事実が一般大衆に広く知れ渡るのは非常に難しいとしても、せめて「コロナは茶番で、ワクチンが有害だ」と気づいている層に向けて、きちんと知ってもらうことができないというのは、本当に致命的なことなのです。


だからこそ、分かっている人間が本当のことを伝え続ける必要があります。


そして、そのために最も大切なことは、カリスマ的な著名人や、莫大なフォロワーを抱えた有名人に、本当の真実をしゃべってもらうようお願いすることではありません。


そのような人たちよりも、ずっと現実的で、遥かにパワフルな存在がいます。


それが、「あなた」という一個人です。


自分自身という一般人の一個人が、その事実を大切にし、その真実を語り、他でもない自分の人生の中で真実の道を歩むこと。


そんな道を、実際に歩むということは、それを自然に語るということです。


だからこそ、私たち一人一人がきちんと自分自身の感情のケアをして、自らの心を軽くし、メンタルを強靭でしなやかにすることが、本当に大切なことなのではないでしょうか。


そうすることで、気負わずとも、事実を根気よく伝えていく気概が生まれ、自分の生き方として、ライフワークとして、息を吸うように当たり前に事実を発信していくことができるようになるのです。





自分自身を大切にしながら、しっかり内側を労わっている限りは、あなたの活動エネルギーは枯渇することはありません。


あなたのコアの部分にある、「なぜそれをやるのか?」という答えである、『あなただけの理由』が、あなたを突き動かす無限のエネルギーになるからです。


ですから、もし辛くなることがあったなら、まずは真っ先に自分自身を癒すことに力を注いでみてください。


まずは、自分自身を元気づけること。


あなたの好きな方法で、自分自身を大切に労わってみてください。


この地球では、あなたが『自分』に対してやっていることが、そのまま『世界』に対してやっていることにも通じているのです。


どうか安心して自分を大切にし、自分の内側にたっぷり力を注いで英気を養ってくださいね。





そして、自分自身が元気になったなら、あなたもぜひ、このムーブメントに加わって下さい!


カリスマ的な著名人を陰ながら応援するという形ではなく、あなた自身が自分の言葉で語る側になり、あなた自身が「事実・真実の道」を生きて体現するという、自然なやり方で。


具体的にそれが「どのような方法で?」というのは、自分が自分を大切にする生き方を磨いていくことで、あなたにとっての最適な答えやヒントが降りてくるはずです。


どんなに小さな一歩でも、どんなに些細な行動でも、それはその都度とても価値あるものです。


あなたがいいなと思う、あなたらしいやり方でのご参加を心よりお待ちしています!



最後までお読みくださり、ありがとうございました。

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