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  • 執筆者の写真Bio Sinfonia

自己受容と、医療の歴史



自分自身のあらゆる側面を受け入れることができないと、残念ながら人は、『真の幸せ』からは、どんどん遠ざかってしまいます。


特に、“積極的に受け入れておきたい自己の側面”とは、


自分の弱さ、自分の愚かさ、自分の無知、自分の汚点や恥、自分の醜さ、自己の内面に潜む数々の幼さ・・などです。


それらを、見ようともしないで無視したり、さらには「隠蔽」したりしてしまうと、どんどん真の幸福からは遠ざかってしまいます。


自己のあらゆる側面を受け入れないまま、自己欺瞞が進んでしまうと、人生の醍醐味や充足感とは疎遠になっていき、いつもどこか焦燥感に駆られて、まるで「意識に霞がかかったような状態」になってしまいます。


そして、「どうして自分が幸せでないのか?」「どうして自分は満ち足りていないのか?」という、その本質的な理由が、自分でもますます分からなくなってしまうのです。


このような問題を抱えているのは、なにも一部の現代人だけではありません。


私たちの周りにいる、この社会を支えてきた大多数の大人たちも同様に、このトラップの中に閉じ込められてきました。


私たちの子供時代に、周りにいた親や親族などの大人たちはもちろん、様々なことを教え導いてきてくれた『先生』と呼ばれる存在たちも同様で、多くの人たちがこの「真の自分自身を見ようとしないで生きる」というスタイルの中に閉じ込められてきました。


私たちにあらゆることを教え込んできた『先生』と呼ばれる存在には、教師や政治家、何かの専門家や講師などの様々なジャンルの人たちがいますが、教師と同様に強い影響力を持っているのが『医師』という立場の先生です。


そんな偉大な医師ですが、一体どのような世界観の元で、どのように育成されてきた『先生』なのか?という、医療の歴史の根本のところがダイジェストで理解できる動画がありますので、お時間のある時にご覧いただければ幸いです。




知る気があれば、いくらでも事実を知ることができ、いくらでも学び放題に学べるという、現代のこの恵まれた状況の中で、


このような「本当の歴史」や、「実際にはウイルスなど存在していない」という事実を受け入れることができない人間があまりにも大多数になっている理由は、


冒頭に述べた通り、


『自分が、自分のあらゆる側面を受け入れることができていないから』です。


もしも、ある医師が、一人の人間として「自分の愚かさ、無知、弱さ、恥、内面の幼さの数々…」などにも目を向け、それらを受け入れながら生きていたとしたら、それまで熱心に医学を信じてやってきたとしても、本当の事実に気づいた時点で「嘘にまみれた医学史」を受け入れ、「ウイルスが存在しない」という事実も受け入れられるはずなのです。


【✨受け入れたドクターたちの例👇】


なぜなら、自分のあらゆる側面を受け入れている人は、自分の経歴と『自分の本質』とを同一化することなく、きちんと切り離して俯瞰することができるからです。


過去に歩んできた自分の道をいくら否定しても、『自分の本質を否定することにはならない』と、深い部分で理解できるからです。


その点をきちんと実感できていると、むしろ自分が歩んだ道の中にあった嘘や詐欺を積極的につきとめ、欺瞞を洗い出し、光の下にさらして全てを再認識することで、自己の本質がより一層クリアになり、人生がさらに充実して輝き出すことになるのです。



反対に、


歩んできた経歴や、偉大な肩書きを否定することで「自分まで否定したことになってしまう」という気持ちに陥るような人だったら、どうでしょうか?


「自分の肩書き」と『自己の本質』とを同一化することでしか、自己評価できないメンタルで生きてきたとしたら・・


そして、その人が、もし『医師』だったとしたら・・?



というのが、今この社会の現状です。


詐欺に満ちあふれた「真実」を直視しようものなら、自分自身のすべてが崩壊するような感覚に陥ってしまうメンタルの人は、そんな手痛い真実から目を背けたくなってしまうものです。


すると、『真実の全てを受け入れる』のではなく、都合のいい部分だけを断片的に認め、一般大衆の尊敬を失わない程度に、威厳を保って格好よくいられるくらいの ”批判的なポジション”に居続けようとしてしまいます。


大抵は、「ウイルスがない」というところまでは、受け入れません。


なぜなら「セルフイメージの崩壊」に、その人のメンタルが耐えられないからです。


「自分の本質」を、自分自身で評価することができず、肩書きや経歴を他人に評価されることに慣れ切って生きてしまうと、自己のイメージ像が崩れるようなことに、精神が耐えられなくなってしまうのです。


耐えられないメンタル、直視できない精神になってしまったのも、これまで『自分のあらゆる側面』から、目を背けて生きてきた結果でもあります。


そして、セルフイメージが崩壊するストレスに耐えられないくらいですから、「それまでのことを学び直して人生を再構築しよう」という、クリエイティブなエネルギーも枯渇しています。


裕福でお金は足りているはずなのに、そのようなエネルギーが足りていないとしたら、とても恵まれている環境にいながら、本当にもったいないことだと思います。


そして、医師だけでなく、


様々な年齢層の、様々な職業についている、この社会を構成している人たち、私たち一人一人のメンタルの土壌が、これと同じような性質に偏ってしまう時、いよいよ奴隷化の土台もほぼ完成形となります。


この偽パンデミックに、個人個人がどこまで気づいていようといなかろうと、ここまで私たちの多くが従順な奴隷スタイルを選んで生きてしまう理由は、


突き詰めてみれば、それは


『自分が自分のあらゆる側面を受け入れていないから』です。


『受け入れていない』どころか、実際には「見ようともしない」というのが現実かも知れません。


自分の本質に目を向けるのではなく、かりそめの自己イメージをぶら下げて生きるよう、この10年ほどは特にソーシャルメディアでも調教されてきてしまいました。



自分の弱さ、自分の愚かさ、無知、汚点や恥、自分の醜さ、自己の内面に潜む幼さの数々・・


それらを直視する気概のある人や、否定する価値のある部分を自己否定できる誠実さのある人は、実は『自己肯定』など朝メシ前なのです。


真の意味での、深い意味での『自己否定』ができる人は、『自己肯定』などできて当たり前ですし、自分で自分を評価する『正当な自己評価』も、できて当然です。


自分を大切にすることも、他人を尊重して思いやることも、基本中の基本で自然にやっていて当然のことになります。


「自分を肯定する」ことの、反対側の極にある『自分を否定すること』―・・


その両極をひっくるめた全体が、自分を受け入れることです。


そして「自分を否定した何か」の中で見つかることは、さらに「肯定できる何か」だったりします。


否定の中にも、両極の要素が入った“入れ子”状態になっている、深遠な世界が見つかることでしょう。


自分のあらゆる側面を見て、受け入れていくことの豊かさは、そこにあります。


『自分の人生』という、唯一無二の道でもって、自分にしか気づけない方法で、自分に必要な学びを得ていくことができるのです。


私たちには、そのような素晴らしい豊かさが与えられているにもかかわらず、半分は目をつぶってしまい、ひとつの極にしか光を当てようとしなかったり、都合のよいところだけスポットを当てて表面的なの体裁を保とうとする生き方を続けしてしまうと、やがて、どうしても苦しくなってきます。


真実から離れ、かりそめの評価で息継ぎをするように安心を得ようとする「SNS依存症」のような医師や専門家や有名人や一般人があふれているのは、そのせいかもしれません。


「実は、みんなが苦しい」

「本当は、あの人も、この人も、内心は苦しい」


そんな社会は、とても悲しく切ないものですし、私は正直そんな世界はイヤだなと個人的には思います。


でも、「他人を変えること」は、できないのです。


自分が変えられるのは、自分のみです。


でも、これは悲しいことでも、残念なことでもなく、とても素晴らしいことなのです。


自分自身が、「私がこれがいい!」と思えるような自分を表現しながら生きていくことー・・そのために、自分の本質を見て、自分の本質を知り、自己を探求し、自己を高めていくことー・・


そうやって、それぞれが自分自身を生きてこそ、他人にも有意義な『影響』という波紋を与えることができるのです。


自分自身の本質を生きた上でのその波紋が、『周囲にも自然と波及する』という、自然の摂理があるこの世界では、自分自身をパワフルに生きてこそ、自然な形で他人にも影響を与えられる何かが常に自己の内側から放たれていくということです。


それぞれが、ただただ自分自身を真摯に生きればよいという、この素晴らしくシンプルな命の法則は、一石二鳥どころではない、『一石で無限大』もの恩恵が広がる可能性が秘められています。



『自分の本質を生きる』


『自己の真髄を、表現しながら生きる』


さて私たちは、何から始めることができるでしょうか?


少しでも自分に正直になってみることでしょうか?


自分の内側の思いや考えに、もっと敏感になってみることでしょうか?


部屋のお掃除をしながら、心のお掃除もしてみることでしょうか・・?


最強の奴隷アイテムである、スマホを捨てることでしょうか?(☚奨励)


何かピンと来たことがあれば、どうぞどんどん始めてみてくださいね。


今後も、セルフイメージの崩壊をいとわない、本質的な自分を生きている素敵なドクター達などの動画を翻訳していきたいと思います👇


2020年のパンデミックの初頭には、「すごいな、偉いな」と尊敬の眼差しで見つめていた活動家系の医師や専門家やリーダー達も、あれからもうすぐ3年が経とうとしている今、改めて見てみると、いまだに2020年初期のあたりで情報が止まっているかのように不自然に見える人たちが多いことに気づかされます。


それどころか、真実の手前のところにいつまでも立ちはだかって質の低い情報を流布し、私たちの知識の限界値に線を引き、特定のシナリオの中へと押し戻そうとしているかのような存在の方々も目立ちます。


3年もの歳月があれば、その間、人はいくらでも成長でき、いくらでも学ぶことができますが、それにもかかわらず、知識や成長が止まっているかのような人間とは「一体どういう人たちなんだろう?」と考えてみてもいいかも知れませんね。


「数々のストレスに精神的に耐えられないために、メンタルが無意識に真実を避け、学ぶことから逃げてしまうのだ‥」という理由だけでなく、「学歴はめちゃ高いのに、実際は頭が悪いらしい…」という理由のみでもなく、他にも色々な複合的な要素が混じり合って、そういう立場でいるケースもあるのかもしれません。


次回は、そんな側面にも切り込めるかもしれない、楽しい翻訳動画をアップしたいと思っています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!




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