わたしの大切な時間
- Bio Sinfonia
- 5月13日
- 読了時間: 17分
更新日:5月19日

こんなにも自然がすてきな季節に。
鼻水が延々と流れ出たり
一日中クシャミが止まらなかったり
私たちの体が発してくる、さまざまな症状があります。
ヘンな悪寒がしたり、
クラっときたり。
頭がぼーっとして何もできなくなったり。
やる気はあるはずなのに、急にすべてが辛くなることも。
季節が暖かくなってきて、こんなにもすてきな季節になってくるのに、体はどうしてこのような諸症状を発してくるのか・・?
不摂生や睡眠不足、ストレスなどの思い当たる節がない人でさえ、それは起こってきます。
まるで「どこからか、何かをもらってしまった」かのようにも錯覚してしまう、突然やってくる風邪っぽい症状。
これらを引き起こす【諸悪の根源】のひとつが、しばらく前から大気中にあふれています。
それは、至るところに漂っていながらも、私たちの目に映る形ではなかなか見えてこない、ずるい存在です。
今月は、そのことについての特集記事をアップする予定でした。
このテーマについては、9年前にも別の角度から書いたのですが、あれから時が経ち、状況も悪化し、この毒の使われ方が季節を問わず拡大している傾向にあるので、早く別の視点からも記事をまとめたいなと思っていました。
「風邪」に見える現象や、「集団感染」に見える現象と、この毒との関わりです。
けれども・・
事情が変わりました。

どうしても今、セルフケア通信の続きを書き進めることができないのです。
できれば毎月、翻訳動画を1本と、記事を1本・・そんな感じを目標にして、アップし続けていきたいと思っていました。
しかし今、このとき、同じリズムで進めることが、どうしてもできなくなってしまいました。
・ ・ ・

『Moonのにほん語』の「Moon」とは、わたしの大切な愛犬の名前です。
わたしにとって、ムーンは大切な家族であり、大切な子どもでした。
人間の子どもを持つことができなかった私たち夫婦にとって、ムーンはとてつもなく大切な一人息子だったのです。
それが今、
こうしてムーンの命を失ってみて、改めて痛感することがあります。
大切な家族として、
子ども同然として一緒に生きてきたとしても、
それでも犬は、決して「人間の子どもと同じではない」ということ。
犬は、人間の子どもとは、ぜんぜんちがう。
1歳、2歳、3歳・・と、いくらでも手のかかる時期を過ぎて、人間でいえば中学生や高校生くらいの年齢になっても、犬はずっとずっと親離れをしない。
犬は、学校に行ったりしないし、自分の部屋でひとりで趣味や勉強に没頭したりしない。
成長するほどに友達と過ごす時間が増えて、自立していったりもしない。
どんな年齢になっても、犬は人間と同じベッドの中で、ぴったりと寄り添って一緒に眠ったりする。
すべてを飼い主に依存して、真っすぐに生きている。
飼い主を心から信頼して、全力で愛情を求めてくるし、全力で愛情を見せつけてくる。
人間だったら、「お母さん、もう勝手に部屋に入らないでよ」と言われてしまうような年齢になっても、犬はずっと飼い主のあとをついてまわる。
「体をさわって、抱っこして、一緒にいようよ」と、いちいち体をすり寄せてくる。
何年も何年も、ムーンの心臓と自分の心臓を重ね合わせるようにして、一緒に眠ってきました。

どんなに辛いことも、悲しいことも、ムーンがいつもそっと癒してくれていたことに、改めて気づかされます。
どれだけのことがあったとしても、なにが起きたとしても、ムーンを見ていると自然と笑顔になれたのです。




15年と8カ月の歳月を、毎日一緒に過ごしてくれた命。
香りブームが盛り上がって外出が厳しくなっても、楽しいイベントやお祭りに行けなくても、「ムーンがお家にいるのだから、私はここにいれば幸せだ」と思うことができた。
職場が体に合わなくなって、別の生き方を見つけなければならなくなったときも、ムーンのそばにいながら仕事ができるようにと、いろんなことを頑張れた。
社会全体が5Gへと移行し、都市部に行けなくなったときも、「それが自分なんだから、それでいい」と思えたのは、ムーンが側にいてくれたからなんだなと気がついた。
防虫剤の濃度が高まる結婚式には参加できないし、身内のお葬式にも参加できない。
根本的なところが普通の人とはやはり違っているんだなという自分が持っている負い目や、できないことがある悔しさ、できる人を羨ましく思う気持ちなどを、ムーンがぜんぶ埋めてくれて、ネガティブな面もすべて「ムーンと一緒にいられる喜び」に変えてくれていたのだと気が付いた。

いつも一緒にいることが大好きだったムーン。
私が翻訳作業をしているときも、記事を準備しているときも、ムーンは私の横で「自分の時間」が来る瞬間を、じっと待っていてくれた。
終わるのをじっと待っていてくれる。
私のいちばんの後悔は、コロナ騒動の情報発信に力を入れるようになって以来、ムーちゃんと向き合う時間が減ってしまったこと。
お庭の手入れ、農作業、DIYなどの趣味の時間がそれに置き替わってしまうことは、自分の選択だから構わない。仕事の一部を縮小することも、自分の意思だからそれでいい。翻訳作業も、情報の発信も、自分の趣味という次元を超えて、地球規模レベルで大事なことだから。
だけど、ムーちゃんと一緒に過ごす時間までも、いつの間にか減らしてしまっていたことを、私は心底後悔した。

夜の12時を過ぎても、ムーちゃんが横で待っていてくれる。
「ねえ、もう寝ようよ、寝る時間だよ、こっちにおいでよ」
と、ムーちゃんがベットと私の足元を行ったり来たりして、そう言ってくれていたのに。
なのに、私は、
「ママはあと2時間はやらないといけないからね。先にひとりで寝てていいよ」
といって、ムーンをひとりで寝かせた。

朝になっても、私はムーちゃんの楽しみを奪っていたと思う。
朝になると、お散歩のあとの二度寝はムーちゃんの大好きな時間で、数十分だけでも一緒にくっついて添い寝してあげると、本当に幸せそうだった。それが長年の日課になっていた。
それなのに私は、まだ日の出前の暗いうちから異常な早起きをしてパソコンに向かい、ムーちゃんとの添い寝もしなくなっていた。
せっかく自分自身で自由に時間割りを決めてやりくりできる仕事にシフトしたというのに、ムーちゃんのそばにいるほんの15分・30分を惜しんで、別のことにストイックになってしまった。

さらに自分の許容量を超えてやりすぎてしまい、やがて不眠症と聴覚過敏になり、2024年ごろからは夜にムーンと一緒に眠ることもできなくなってしまった。
私が一緒に寝れないあいだ、夫が自分の部屋でムーンと一緒に寝てくれた。
ムーンのことが大好きで大好きでたまらない夫は、毎日ムーンと寝れることを喜んでくれた。
ただ、ムーンは、夫の部屋で寝るときは「なんでここに連れてきた!はやくママのところに戻せ!」とお怒りになって、いちいち抗議していたらしい。パパの部屋では、水を一切飲まないというボイコットを貫いていた。
私は、自分の体に合わないことをやり過ぎてしまったことを反省して、数カ月かけて体調を回復させ、2024年末ごろには、またムーちゃんと一緒に寝られるようになった。
しかし、そのころには逆に、ムーちゃんはもう具合が悪くなり始めていた。
体のあちこちが痛んでいるようだ。
体と体を触れさせあって、一緒に眠ることができなくなっていた。
ムーちゃん自身が一番、あんなに一緒にぴったりくっついて寝ることが大好きだったのに。
そのことを、ここ数カ月、ずっと深く後悔していた。
「なぜ、あの時、ムーンとの時間を大切にしてあげられなかったのだろう..」
犬が命を燃やす速度は、人間の速度とはぜんぜん違うというのに。
人間にとっての「ちょっと待ってて」という感覚は、犬にとっては一体どれだけ長く感じたことだろう?
自分にとって、「この3日間は忙しい」「この1週間は時間がない」「この1ヶ月だけはちょっと集中してやりたいから」・・という、そんな「あとちょっと‥」という感覚が、犬にとっては永遠のように長く感じたかもしれない。
「なぜ、あの瞬間、ムーンのことを優先してあげられなかったのだろう..」
中型犬で10歳にもなれば、もう立派なおじいちゃんなのに。
なのに、ムーンが12歳になっても13歳になっても、まだまだ楽しそうに走ってくれるから。だから、これからもずっとずっと変わらない日々が、まだまだ続くような錯覚を起こしてしてしまっていた。

「なぜ、あの瞬間、もっとそばにいてあげられなかったのだろう..」
ここ数カ月、そんな後悔と申し訳ない気持ちを、どうやって埋め合わせたらいいのかも分からないまま、ムーちゃんのために毎日できることをやって過ごした。
そうやって、3月を過ごして、4月を過ごして、
5月1日の14時過ぎに、ムーンの魂は肉体を離れていきました。
最後の最後の瞬間まで、奇跡のような生き様を貫いて、驚くほど勇敢に生きる気概を見せてくれる子でした。

ムーンと出会った瞬間から、ずっと奇跡のような毎日でした。
2009年の秋にムーンと出会ったとき、私はちょうどその時、悲しくて泣いていました。
当時はまだ、住宅が密集している地域に住んでいました。すぐ隣のお宅では、家庭ごみ、タイヤ、鍋、家具など、しょっちゅう庭先で不要物を燃やしており、目の前の田んぼや畑では大規模に農薬がまかれていました。
そのたびに、体がけいれんを起こし、呼吸困難になったり、意識が遠のいて倒れたりしていました。
旦那さんが横にいる状態で「私に何かが起こった or 空気に何かが起こった」ことを察知すると、彼は私を車に乗せて、山奥の誰も人がいない公園に避難し、綺麗な空気を吸わせてくれました。
救急車に乗って、病院で酸素ボンベに繋がれることは、私には向いていません。
なぜなら、私の地域にある病院は、消毒剤や抗菌剤だけでなく、強い柔軟剤や芳香剤を院内中に漂わせているところが多いので、病院に行っても悪化しかしません。
それで、空気のよい山奥の公園のようなところが避難所になっていました。
そこで出会ったのが、2匹の野良犬です。

その野良犬たちに出会ったとき、あまりの可愛さに感動して、すり減った体の辛さが癒えていくような気持ちになりました。
オス2匹の兄弟犬。
2匹の犬は、野生の本能が強く、食べ物も自分たちで山から見つけてきているようでした。

車に乗せて連れて帰りたい!と思うくらいだったけれど、警戒心が強くて、一定以上の距離は近づくことができませんでした。
でも、その姿を見ているだけで、心が洗われるように幸せな気持ちになれました。

そして、その日以来、あまりの可愛さに、週5で通うようになりました。
私は勝手に「チョコ」と「ショコラ」と名前をつけて、呼んでいました。
その日の仕事が終わると、犬用のおやつやフードを持って、夕方18時ごろに公園に向かいました。
頻繁に通っているうちに、向こうも覚えてくれるようになり、手から直接おやつは食べてくれなかったものの、地面に置くのを楽しみに待ってくれるようになり、最終的にはすぐ足元の近くまで近づいてくれるようになりました。

なでたり触ったりすることはできなかったものの、近くに座ってくつろいでくれるようになってきて、ふるえるほど感動したのを覚えています。

そうやって、3カ月ほど過ごし、いつものように夫と一緒に山奥の公園に行った、ある日。
その日は、何かがおかしかった。
いくら待っても来ない。
いくら名前を呼んでも来ない。
いつもならば、いくら遅くても1~2分以内に森のどこかから飛び出してくるのに。
2匹の気配がない。
そして、10分待っても来ない。20分待っても来ない。
30分待っても、何の気配もなくて、そのころには私はショックで涙がこぼれていました。
「もう二度と会えないの‥?」
「今日は、新しいドックフードを買ってきたっていうのに‥?」
ショックでしゃがみこんでしまって、立ち上がれませんでした。
体がフリーズしてしまって、そこを動きたくなかった。
だけど、悲しんでいるうちに辺りが暗くなってきて、もうすぐ40分が経とうとしたとき、「本当にもうあの子たちはいなんだ」と実感してきたのです。
そのとき、旦那さんが「そろそろ帰ろうか?」とたずねてきた。
15分くらい前に「帰る?」と聞かれたときは、「まだ帰らない。もうちょっと待ってみる」と答えた私が、そのとき「うん、帰ろうか..」と答えたのです。
名残り惜しかったけれど、2匹の犬たちがどうなってしまったのか心配でたまらなかったけれど、それでも「あぁそうか‥、ここにはもう本当にいないんだ‥」と思って、半べそ状態のまま「もう家に帰る以外、何の選択もない」としみじみ思った。
辺りはもう暗い。
帰る時間なんだ。
そう思って、ゆっくりとだけれど立ち上がることができた。
がっくりとうなだれながら、目が涙でにじんだなまま、自分にとってどれだけ楽しみな時間だったかを思い知りながら、車に乗り込んで山道を走り始めた。
そして、車を走らせて数十メートルのその時、
暗闇の中で、道路わきの竹林から、何かが飛び出してきた。
目の前の道路を、チョロチョロと横切っていく生きものがいる・・・
小さな小さな、なにかが・・
「え?なんだろう‥?」
その瞬間、横で運転していた旦那が、スッと車を路肩に止めたかと思えば、「ちょっと待ってて!」と言って、車から降りて猛ダッシュ!
ちょこまか走る小さな動物に追いついて、そして手を差し伸べた。
それは、小さな小さな子犬だった。

あの日、あの瞬間、私が立ち上がるのがあのタイミングでなかったら、きっとムーンには出会えていなかっただろう。
私が「まだ帰らない!」と言い張って、立ち上がるのがあと30秒でも遅れていたら、ムーンが目の前を横切る瞬間には間に合わず、ムーンとの出会いを逃していただろう。
反対に、もし私があと30秒でも立ち上がるのが早すぎたなら、ムーンは、私たちの車が通り過ぎたあとに、道路を横切ることになったのだろう。
あの時、立ち上がるのがちょっとだけ早くても、ちょっとだけ遅くても、私たちはお互いに出会えていなかった。
そして旦那さんが、あの瞬間、車を止めて追いかけて手を伸ばしてくれなかったら、出会えていなかった。
だけど、こうして奇跡は起きた。
車でひくことのない距離で、私たちの目の前をちょうど横切った奇跡の犬。
だから、ムーンと過ごした15年と8カ月は、毎日が奇跡だった。
生まれて間もない子犬が、山の中をどれだけひとりぼっちでさまよったのか、ガリガリにやせ細って、体にはマダニが大量についていた。
「え、どうしたらいいの?どうしたらいいの?」
と、おろおろしながら抱っこして、出会ったばかりの犬をかかえて、そのまま車に乗り込んだ。
どういうわけか、買ったばかりのドックフードもある。
「大家さんに何て言おう‥?」
「明日からどうしよう‥?」
いろんなことが頭をぐるぐる巡るのと同時に、驚きで唖然としていると、目の前の山すそから、大きな大きな満月が上ってきた。
それは、今まで見たこともないような、圧巻の満月だった。
「月、でかっっ‥!」
と、私と旦那は驚いて、思わず「君は、あの月からやって来たのかい?」と、その子犬に聞いた。
そして、その子の名前は、「Moon」になった。

胸の中に抱きかかえているあたたかい命と、でかすぎる月に驚きながら、なんの準備もできていないまま、ムーンとの暮らしは始まった。
弱っているムーンの小さな体中にかじりついていた100匹以上のマダニは、薬や病院という方法ではなく、数日かけて1匹ずつピンセットで取り除いて処分した。


衰弱から徐々に回復して、日に日に元気になった。
私は毎朝、目を覚ますと、「わ~犬がいる~!信じられな~い!」と、めちゃ喜んだ。
そして、このセリフを、私は飽きもせずに12年間くらい毎日のように言い続けていたと思う。




だけど、それがだんだん当たり前になり、「わ~犬がいる!」とも言わなくなったころ、私は別のことで一杯一杯になってきた。
そして、ようやくもう一度、ムーちゃんが存在してくれていることの大切な奇跡に気づき始めたころ、ムーちゃんは天国へと旅立って行った。
明日も、あさっても、これからはずっと、朝目を覚ますと「あぁ、ムーンがいないんだ..」という信じがたい現実と向き合うことになる。
「隣にムーンがいない、信じられない」
そんなギャップをすんなり受け入れられるまで、長い長い月日がかかるのは、きっと当たり前のことなのでしょうね..。
それくらい、ムーちゃんが一日一日与えてくれていたものは、あまりにも大きかった。



わたしたち夫婦の唯一の子どもであり、親友であり、相棒であり。自然体で生きることの師匠や先生でもあった、かけがえのない愛の存在、ムーン。
ムーンのいなくなった慣れない世界で、今はまだ、いつものようなセルフケア情報をうまく綴ることができません。
やってみようとしたけれど、できなかった。
あんなに書きたかった記事の続きが、どうしても書き進められないのです。
ムーンを失ったことの大きさに、ムーンのいない世界に、私自身がまだ圧倒されていて、いつものような情報の数々を、スムーズに言葉に紡いでいくことがうまくできないようです。
でも、なにも言わずに黙って2カ月も3カ月も記事も書かない・動画もアップしないでいる・・ということも私には耐えられなそうだったので、ここで理由を共有させてもらいました。
今はこのような状況ですが、翻訳作業も、記事の投稿も、これからも絶対に続けていきます!
次の更新が、6月になるか7月になるか、まだ今は断言できませんが、絶対にやめたりしません。
私にとって、それはムーンとの約束です。
ムーンが天国に旅立った、5月1日の午後14時過ぎ、
それとぴったり同じタイミングで、「Moonのお店屋さん」あてにご注文をいただきました。
メールボックスに届いたご注文日時を見て、本当に驚いた。それは、まさにムーンが天に召される瞬間の時間だったのです。
だから、まるでムーンからのメッセージが込められているような気がしてしまいました。
「ママちゃん、ちゃんと続けてくださいね。やめたらダメですよ」という。
そんな風にムーンに念を押されて言われている気がしました。
だって、1年は365日もあり、1日は24時間あるというのに、他の時間帯ではなく、その日のその瞬間に応援のご注文が入るなんて、どんな奇跡だろう?と思った。
だって、「Moonのお店屋さん」は、人気ショップでも何でもないのだから。
ご注文くださるのは、1年間で平均7~8名様ほどなのだから。
その確率を考えたなら、ムーちゃんが天国に旅経つその瞬間に、応援のご注文が入ることなんて、まずあり得ない。
だからこそ、それはメッセージのような気がした。
「Moonのにほん語と、お店屋さん。ぼくがこの世にいた証たちを、これからもずっと大切にしてね」という。
ムーンがこの世に残してくれた置き土産は、こんなにもたくさんある。
そして、ご注文くださった方が、「大変な思いをしながらも翻訳活動を続けてくださり、またブログをアップしてくださりありがとうございます」というメッセージをくださった。
とてもとても救われる思いがしました。
それだけで、ずっと活動していけるような気持ちになる。
ムーンの命の炎が燃え尽きてしまった瞬間に、私まで燃え尽きてしまいそうだったから。体が固まって動けなくなってしまいそうな気がしていたから。なにをしていいか分からなくなりそうだったから。
そんなときだったから、発送作業をして動けることが、とてもありがたかった。
あたたかいメッセージをくださる方には、いつも救われていますが、今回もまた救われました。
コロナ以降、私が始めた活動の名前「Moonのにほん語」は、もちろんムーンからとった名前です。
なぜ、「Moonのにほん語」という名前にしたのか?という詳しい理由も、いつかじっくり語れたらと思います。
ムーンと出会ったその日は、大切な教訓を教えてもらった日です。
「泣きたいときは、泣いてくださいね」
「悲しむ気持ちを、大切にしてくださいね」
「無理して急いで、立ち上がったりしないでいいからね」
「自然に動き出せるその瞬間が、そのときだよ」

そうやって、自分の心に正直に耳を傾けながら、生きてみる。
すると、その瞬間・瞬間にある奇跡に、目が開いていく。
あなたが今この瞬間、そこで息をしている
わたしが今この瞬間、ここで息をしている
——それが究極の奇跡。
それ以上の尊い奇跡なんて、ほかに何かあるだろうか?

予定していた記事の内容が、今はどれもうまく自分の言葉で紡げないのですが、その分のエネルギーは、貴重な貴重な書籍の翻訳に力を注ぎたいと思います。
時間がかかっても、みなさんに素晴らしいものが届けられるように。
最後になりますが、今月分アップできない代わりに、9年前に書いた記事をシェアします。
ワンちゃんにもネコちゃんにも、虫さんにも鳥さんにも、大地にもお水にも、そしてもちろん人間自身にも、隠れた甚大な害となるこの愚行が、世界から少しでも消えていってくれることを願って。
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もうすこしの間だけ、自分の心に寄り添う時間を過ごしてみてから、また戻ってきますね。
今日もお読みくださり、本当にありがとうございました。

2025年5月 満月に寄せて
Moonのにほん語 (Etsuko)

Moonのお店屋さんでリピート購入してくださった方に、お礼の気持ちを込めて
フォトカードを同封させていただいております。(詳しくはこちら)