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  • 執筆者の写真Bio Sinfonia

「真実に目覚めた」という催眠術



真実を探そうと思った時、それに最も向いてない場所の一つが、テレビです。


「テレビは、真実から最も遠い場所」


そんな認識は、すでに多くの方々がお持ちのことと思います。


様々なニュースなどを自分から調べる気概のある人々は、もはや「テレビを見て、テレビから学ぶ」という手段は、考えられないかも知れません。


ですが、「テレビはナンセンスだ」と分かっていたとしても、テレビ並みにパワフルで、さらにその上をいく洗脳テクニックが内包された別バージョンのツールに対しては、あまり危機感を抱かずに使用してしまうケースが定着してしまっているようです。


まるで、ついテレビのスイッチを入れてしまうように。

何気なく、流し見してしまうように。

すき間時間があると、なぜか見てしまうように・・と。


そんな現代のメディアトラップの代表格の一つが、「ツイッター」です。


テレビなどの主要メディアを、当たり前に疑っている人たち向けの、もう一つの『ニセ情報の大量発信型プラットフォーム』として、ツイッターはパワフルに機能しています。



テレビが、伝統的で「直球型」の洗脳ツールだとしたら、ツイッターは革新的で「変化球型」の洗脳ツールと言えそうです。


ツイッターは、「真実に目覚めた」と自負している人向けのメディアトラップとして機能し、利用者の方々がそれにのめり込むことで、次第に真実から遠ざかっていくよう様々な工夫がされています。


なんといっても、この洗脳タイプの巧妙さは、『参加型』であるということです。


まさに自分がそこに参加していて、自分の意思で書きたい内容を投稿し、自分が真実だと思ったことをツイート&リツイートするわけなので、非常にリアリティがあり、それゆえ「真実のあふれる場所なのだ」と錯覚してしまう特徴があります。


もちろん、中には良い情報や、良質な発信も、当然あることでしょう。


しかし、それは、テレビ全体の中にある「ほんのわずかな好印象の番組」と同じような役目を果たしています。


「テレビだって、いい番組も少しはあるから・・」


と、視聴者をテレビに繋ぎとめるのと同じ役割を果たすように、「大手メディアとはいえ、ツイッターにはちゃんと真実も発信されている」と確信させて、利用者を繋ぎとめる役割を果たします。


しかし、テレビとは大きく異なる特徴は、その「繋ぎとめる役割」を、一般の利用者である本人たちにやらせることです。


さらに、ツイッター上にあふれる、偽情報をコンスタントに大量発信してくる顔の見えない投稿者(またはロボット)の存在は、良心や正義感のある人たちの心を刺激し、「自分が正しい情報を発信して何とかしなければ‥」という焦燥感を、ますます駆り立ててきます。


時には「嘘とデタラメを使って感情を駆り立てる」だけではとどまらず、ひたすら人格攻撃をしながら挑発してくることもあるでしょう。


本来であれば、そんな人間(またはロボット)を相手にしなければ、人はもっと早いスピードで素晴らしく成長し、どんどん自分を高めることができ、時間を無駄にすることなく成すべきことを成せるはずですが、執拗に足を引っ張ろうとしてくる”顔の見えない謎の相手”が登場することにより、利用者の多くは意識レベルが低い状態に停滞させられ、質の悪い情報に共振共鳴させられ、精神が蝕まれ、それだけでかなりのエネルギーを消耗させられてしまいます。


そして、利用すればするほど、「ミイラ取りがミイラになる」というトラップ現象に巻き込まれてしまうリスクも伴います。


すると、徐々に徐々に、感覚が麻痺していき、真実を発信していたはずの自分が、いつの間にか「偽情報を発信する側」へと立場が変わってしまう『逆転現象』の危機に晒されるようになります。



そして、そんな『逆転現象』が実際に起きた瞬間が、人としての一つの重要な岐路に立たされる瞬間です。


「自分が偽情報の流布に関与してしまった」


という、まぎれもない事実を、真正面から受け止めたり、謙虚に受け入れたりするよりも、


「もう過ぎたことだから・・」

「過去の一瞬の出来事だったから・・」


として、どんどん水に流す感覚を後押ししてくるのが、こうした大量発信型ツールの特徴です。


「ツイッターなんて、もともと偽情報があふれてるんだから、間違いの一つや二つくらい、まあいいか」となる。


ここが、人間性の崩壊の始まりです。


「誰でもやってるでしょ」


という感覚で、自分の過ちを軽く受け流したり、根こそぎ忘却するようになると、一歩一歩、内側の人間性が崩壊し始めていきます。


それが積み重なるにつれて、次第に、ミイラ取りが「立派なミイラ」へと育ち始める道へと引きずり込まれていきます。


そもそも、「文字数制限」という、決まりのある投稿システムでは、「自分自身の人間性を表現する」という、人としての重要な側面を極限まで削った状態で、投稿をスタートするルールになっています。


自分自身の「個性」や「豊かさ」などを表現する幅さえないくらいですから、それを読むであろう読み手に対して、最低限の『敬意』や『礼儀』を表すことも、いつの間にか忘れてしまう仕様になっています。


言いたいことギチギチに言うだけで、文字数は終了しがちです。


そのため、ズバズバと我の強い文字が立ち並ぶことで、発信者側には悪意はなくとも、読み手が不快感を感じ、予期せぬバトルに発展したり、いざこざが起こったりする現象が、世界中で毎日のように起きています。


また、ニュースをシェアする際も、「まず嘘か本当かを、確かめてから」という発想すら湧かないほどに、単に衝動でツイートするよう駆り立てられる仕組みになっているので、多くの参加者が勢いよく拡散し、それを見た人も『真実なのだ』と次から次へと鵜呑みにしてしまいがちです。



なぜなら、人の心理というのは、「シンプルに強く主張されているもの」や、言葉尻が「確信している」と受け取れる形で書かれた『語調の強いもの』を鵜呑みにする傾向があるからです。


なので、そのような表現になりがちなツイッターは、偽情報を信じ込ませるには格好のツールというわけです。


さらに、投稿者が「自分の発信した情報が偽情報だった・・」と気づいたとしても、水に流してしまいがちです。


文字数制限のある場では、過去の投稿を取り上げて、自分の間違いやそれによって生まれた影響を内省するよりも、「次の新しいトピックを投稿して、フォロワーの心をつかんでおきたい」と思うようになってしまうのが、こうしたツールを使用する際に起こりやすくなる人間の心理だからです。


「一つの過ちから学ぼう」


とする、心の強さや健やかさを育むよりも、場当たり的な衝動を助長し、どんどん忘れていく忘却術を育むのが、こうしたデジタルツールの持ち味です。


たとえ、自分の間違いに対してハッキリ気付いたとしても、黙って投稿を削除して何事もなかったかのように過ごしてしまうのが精一杯かもしれません。


そのため、発信者が元の投稿を削除したとしも、何百人・何千人・何万人というフォロワーがツイートの内容をブログなどにコピペし、それらが延々とシェアされ、至る所で偽情報のコピペの連鎖は続いていきます。


ツイッターのコピペが、アメブロなどで延々と拡散される状態では、大元の投稿は消されても、偽情報の蔓延は止むことがありません。


こうして、無意識にも「偽情報の後始末」をしない人たちがSNS上にあふれてしまう時、それはもはや「コントロールド・オポジション」など全く関係なく、多くの一般人が「自覚なき偽情報の発信者」となってネット上にあふれ、真実から人々を遠ざける役割の「自覚なき門番」「自覚なきゲートキーパー」として、サイコパスやソシオパス達の手足となって働いている状態が出来上がっていきます。


さらに、手痛い事実は、それだけではありません。


このような「大量発信型プラットフォーム」にて感覚が麻痺している最中というのは、心と体の両側面が操られている可能性が高くなっています。


まずは、読み手側(フォロワー側)の立場から見てみると、


どんな情報でも、パッと端的に表示された『印象』だけで物事を判断する、独特の反応パターンに、日々大量に晒されるために、


「自分自身の内側で熟考する」


という、人間を人間たらしめている当たり前の精神活動を行う習慣が、どんどん希薄になっていきます。


すると、やがて物事の『結論のみ』を求めるような、単純な思考パターンへと脳が調教されていき、人間性に深みがなくなっていきます。


それが加速していくと、「自分でモノを考える」というのが、一体どういうことだったのか?という感覚が薄れ、やがてはその方法を思い出せなくなっていき、「考える」というやり方自体が、よく分からなくなってくるのです。


この悪影響の最大の特徴は、論理的に考える方法すら忘れつつあるのに「物事を理解した気分になるという、うわべだけの学習気分を体得してしまうことです。


真実とおぼしきツイートを、ちょっとした空き時間にザッとさらっておく感覚は、時間に追われる現代人には最適のように思え、「まさにこの時代にマッチしたツールだ」と思われがちですが、実際には古くからある伝統的なプロパガンダである『新聞記事の見出し作戦』に通ずるものがあります。


「見出し」や「タイトル」だけをザっとさらう習慣を人々に覚えさせることで、内容や本質までも理解した気分にさせるという方法です。


この方法は、人間の思考能力そのものを低下させ、本質的なことを学ぶ意欲も低下させてしまう一方で、「自分はもう十分、知っている方の人間だ」という上から目線のエゴだけは肥え太らせてしまうという、最悪の特徴があります。



一方、書き手側(ツイートの投稿者)は、無意識のうちにフォロワーからの反応を求めてしまいがちになります。これは、なかなか避けられない、脳の特性です。


コンスタントに『フォロワーからの反応を得る』という活動を、日々の中で継続させていくことで、そこには中毒性が生まれてしまいます。


フォロワーからの反応は、脳の報酬系を刺激するので、快感ホルモンが分泌されます。


すると、そのツールを使えば使うほど、脳や体の感覚が、ある種の「快感パターン」を覚えてしまい、そうした生体化学物質が生成される『独特の感覚』を無意識に欲するようになるため、その枠組みの中での情報発信に徹しやすくなってしまいます。


このようにして、ただでさえ脳が単純化し、熟考する習慣が消失していく状況の中で、頻繁に偽情報に晒され続ける環境に身を置いているうちに、ある時ふと、自分自身も偽情報に翻弄される側へと立場が逆転しまうのは、ごく自然なことなのです。


ツイッターだけでなく、フェイスブックやインスタグラムなどのソーシャルエンジニアリング系の仕組みも同様ですが、こうした報酬系の生体化学物質を得られるのが持ち味のプラットフォームに繋がっているのがクセになってしまうと、ますますスマホが手放せなくなり、まるでデジタル空間に鎖で繋がれた奴隷状態になってしまいます。


「デジタル現象によって、快感を得られる」


という現実では、当然ながら、その逆の現象も伴います。


快感もあれば、大きな不快感を伴う状況もあり、実際にはそれ自体がストレスになっているとも言えます。


顔の見えない存在から承認され、賛美され、体内に報酬物まで分泌させてもらえる『デジタル餌付け』の側面もあれば、顔の見えない存在から挑発され、攻撃される『デジタルバトル』の側面もあります。


これらの総合的な構造が、心と体と魂を乗っとるシステムとして、うまく機能しています。


「自分は真実に目覚めている」


と思っていたのに、時おり偽情報をバラ撒く側に逆転してしまったり、人々を真実から遠ざける門番の役目を負わされていたり、実際には心も体も操られていたりするという一面があるとしたら、非常に痛ましいことなのではないでしょうか。


では、このようなソーシャルエンジニアリング系の巧妙なトラップから抜け出すには、一体どうしたらいいでのしょうか?



まず、そもそもの話として、各大手メディアのSNSからは、ほどよい距離感を取ることをお勧めします。


たとえば、毎日のように何度もチェックしていたのなら、「とりあえず●日間は見ない」と目標を定めてみるのでもいいでしょう。あるいは、「スマホ上では見ない」と決めて、オン・オフをはっきりさせる手段もあるでしょう。


何かしら試してみれば、「見ないようにしようと思う」だけでも、いかに難しいか?など、自分に対する大きな気づきが得られるはずです。


ただし、根本的なことを言えば、最もおススメすることは、こういう手段に回帰することです👇



上記は、一例ですが、左側はインターネット自体に繋がらないタイプ。そして右側は、迷惑メール設定などの基本画面には繋がるものの、一般的なウェブサイトやSNSは閲覧できないタイプです。


こうしたものを大事に使っている限り、デジタル中毒になる危険性は非常に低くなり、心も体もシンプルに健全でいられます。


心理的な中毒にもならず、身体的な快感物質のアップダウンに振り回されることもなく、強い電磁波にも晒されないで済むという、もっとも単純な解決策です。


さらに、自分がスマホを持たなくなれば、周囲にいる人たちに浴びせる電磁波の量も大幅に減るので、家族や社会の健康にも貢献できます。


そもそも、こうしたデジタルツールは、意図的に作られた流行であり、人々をここに取り込むことを目的としているものです。


一体、どうして自分は、

わざわざ高額なお金を払ってまで、

これほどまでに強い電磁波を浴びるツールを

日常的に持つことを選んだのか・・?


まずは、その根本的な理由を、どこかのタイミングで、一度はしっかりと見つめ直す勇気を持つことは、とても大切なことです。


そもそも、なぜ自分は、

心と体の健康を犠牲にしながら、

お金を払って自分の位置情報を提供し、

数々の個人情報を差し出すツールを

肌身離さず持ち歩いているのか?


一度は、本気で問いかけてみる価値はあります。


以前は、こんなものは、

世の中に存在せず、誰も使っていませんでした。


いつ、どのタイミングで、自分はこうなってしまったのか・・?


『いや、選んだっていうか、、気づいたら何となくそうなっていたし・・』


というのでしたら、自分の人生なのに、実は自分で選択していないことになります。


もし、そんな事実が自分の人生に眠っていることに気づけるのだとしたら、それこそ世紀の大発見であり、そこには自分の人生に大革命を起こせるほどの大きなヒントが詰まっています。


『そもそも、なぜ自分がこれを持っているのか?』


自分自身の内側奥深くに対して、そんな問いかけを真摯にしてみるのはいかがでしょう。


もしも、そこに意識的で主体的な『選択』が何も介在していなかったのだとしたら、今度こそ『自分の真の選択』はどうなのか?について、フォーカスしてみるチャンスです。


今現在、すでにスマホとの『深い絆』が出来上がっている状態では、その絆をいきなり断ち切ることや、最適な状態に調整することは、非常にハードルが高いことかもしれませんが、けれども、まずは『見つめ直す』という精神的な行為だけなら、今日からでも今からでも、いつでもできます。


そして、これはスマホに限った話ではありません。


自分が身の回りに持つものー・・雑貨や家具、身に付けるもの、食べ物や住まい、仕事やスキル。


友情や人間関係。


何から何まで、同じことです。


もし、夢や願いが叶えられない人生が長く続いているのだとしたら、それは実際には『自分の本当の意思では何も選択していない』という、無意識の積み重ねが、単純にそのような結果を創っているだけかも知れないのです。


もしそうなのだとしたら、それこそあなたの人生の可能性は、見つめ直すことでまさに無限大に跳ね上がります。



なんであれ、見つめ直すことは、今から始められます。


ふと何気なく、意味もなく、スマホを手に取ろうとしたその時ー・・、


まずは、一呼吸おいてみてください。


そして、スマホを手に取る代わりに、一冊のノートを手に取ってみて下さい。



この際、形から入ってみてもいいでしょう。


お気に入りのノートを一冊買うつもりで、スマホを手に取るよりも、そっちのノートを開いてみたくなるような、愛着や決意の詰まったものを用意するのもいいですね。


そして、そのノートに、『自分に対する質問』を書き込んでいってください。


「さっき、スマホを触ろうとしたけど、本当は自分は何を求めていたのか?」

「私の欲しいものは、本当は何なのか?」


自分に対して、質問文を書き、その答えを自分でそこに書いていきます。


ネット上の発信とは違って、誰に見せるわけでもありません。

自分の気持ちを、正直に書く習慣をつけてみてください。


ゆったりとした深い呼吸をしながら、静かな気持ちで行えば、大きな収穫があるでしょう。


「スムーズに書けない」

「何も出てこない」


という人は、それだけ自分の気持ちを抑圧しているという側面があり、自分の本質と繋がれなくなっているということも分かります。


自分の本心をカバーしていた厚い皮が剥がれ落ちれば、まるでダムが決壊するかのように、自分の本当の心の叫びや、やりたいことや、眠っていた感覚や、あるいはせき止められていたクリエイティビティが、爆発的に開花することでしょう。


しかし、いきなり一気に自分の深い部分に到達できなくとも、意識的にメディアと距離をおいて、「自分自身とそのツールとの関係性」を見つめ直せば、様々なことが一歩一歩クリアになっていくはずです。


すると、


「自分の場合は、どうすればいいか?」


という、自分オリジナルの答えが、自分の力で見出せるようになり、その時その時のベストな解決策や、ベストな選択が見通せるようになります。


最善の方法は、「一切使わない」「もうやめる」という選択かも知れませんし、「もっとよりよいベストな使い方を見つける」という選択かも知れませんし、それは個人個人で異なるはずです。


必要のないツールや、過剰なSNSをやめれば、「時間がない」や「忙しい」という切迫感さえも、幻想だったことを実感することでしょう。


スマホを触らないだけで、集中力が高くなり、時間の使い方が変化し、信じられないほど時間が増える感覚を得られるはずです。


また、ご自身が積極的な「発信者側」や、コンテンツのクリエイターである場合は、どんなツールを使って、どのように発信していくのが理想的なのか?を、見つめなおせるよい機会にもなるでしょう。


自分を見つめ直し、ツイッターの「洗脳効果」や「心身への悪影響」をよく実感した上で、「それでも、やっぱり自分はツイッターを使いたいし、使う必要がある」というのであれば、それもまたその時の自分の最善の選択かもしれません。


ツイッターの洗脳効果を、理解も意識もしないまま、ただ衝動のままに利用するのとは違って、限られた文字数の中で、世の中にお伝えしたい事と、自分の個性と、読み手への敬意を、短い文章でスパンとまとめあげることがもし可能になるのなら、それもまた一興かもしれません。


そんなことが本当にできるようになるのなら、その時ようやく「ツイッターに利用される側」から、『ツイッターを利用する側』になれる、ということです。


(それであっても時々、大がかりなデトックスが必ず必要になるはずです。ツイッターを使っていれば、人間らしい豊かな感覚は否応なく麻痺しますし、人としての謙虚さも劣化しますから、使うのならば心身のメンテナンスが非常に大切です。)


いずれにしても、答えは人それぞれですし、時期によっても、その答えや選択は変わっていかれるはずです。




そして、究極的なことを言えば、


「自分は真実に目覚めた」

「自分は分かっている人間だ」


という、無意識におごり高ぶる気持ちこそ、何よりも危険なトラップであり、最も甘い罠であると言えそうです。


口を開こうとすると、なにかと上から目線の表現ばかりが飛び出してくるようなら、それはなかなか深い催眠術にかかっているサインかもしれません。


なぜなら、


「ものを知る」

「なにかを知る」


ということの真髄は、そのたびに自分の無知を自覚するということだからです。


ひとつものを知るということは、

ひとつ自分の無知に出会うことです。


人は本来、本当の意味で賢くなればなるほど、自分の無知に直面し、世界の大きさに圧倒され、等身大の自分の輪郭を実感し、真の意味での『謙虚さ』という豊かな側面が確実に育まれていくものです。


しかしながら、それが全く逆のベクトルに働き、高慢で傲慢なっていくのだとしたら、それは「目覚めている」のではなく、表面的に情報を得ながらも「深い眠りに落ち続けている」だけなのかもしれません。


この地球では、人間はあまりにも知らないことだらけで生きており、右も左も分からないまま自然界からの恩恵を無償で受け、ほぼ無知なまま人生を送っているのが「ホモ・サピエンス」という人間族の特徴です。


人は、どうしてこんなにも無償の恩恵を自然界から受けながら、息をし続けられるのか?


生きている限りずっと考え続けて、調べ続けて、学び続けても、それでもなお地球にはたくさんの不思議が詰まっています。


(二ホンタンポポとナナフシの赤ちゃん)


「自分の知っていることなど、どれほどちっぽけなことか?」


という、そんな謙虚さと、


「自分がきちんと物事を知ることで、世界はどれだけ素敵になるのか?」


という自己の存在の偉大な意味との、両極面を理解し、自分の力で自分自身の真価を磨いていくことー・・。


顔の見えない社会や他人からの、無意味な「承認」ではなく。


そんな力を実践し続けていく胆力こそが、わたしたち人間にとっての尊い『目覚め』です。



今回のツイッターの記事は、先日、Odyseeチャンネルに以下の質問を頂いたのをきっかけに、以前から先延ばしにしていた内容を少しでも書いておこうと書き始めたら、こんなに長くなってしまいました。


(きっかけを下さった質問者様には感謝です👇)


ご質問の内容は、上記リンクを見て頂くとお分かりになると思いますが、ツイッター上では、ズケズケと人格攻撃をしながら嘘の主張をしてくる人がいるわけですから、ツイートを見ている人たちは、「そこまで言うんだから、もしかしたら本当なのかも・・」と、不安に揺れ動くことも当然あるかと思います。


ですが、それが、ツイッターの仕組みを利用した『破壊行為』であり、一人でも多くの現代人を参加型の『デジタル戦争』へと引きずり込んで、心・体・魂を蝕もうとする現代の洗脳ツールです。


これらのフィールドは、嘘にまみれたプロパガンダの情報戦の戦場であるだけでなく、あらゆる他人と競い合う精神的なバトルを行わせる戦場にもなっています。


自分が望んでもいないのに、どういうわけか、『どっちが上か?』という「賢さ対決/正しさ対決」に引きずり込もうとする雰囲気に満ちています。


まるで目に見えない「上から目線選手権」や「さりげ自慢コンテスト」のようなものが開催されているかのように、なにかと比較対決の価値観を植え付けてくるツールです。


人はそもそも、感情的に不安定になると、呼吸が浅くなり、学びの質が低下して、物事の理解力も浅くなりますから、人生でなるべく多くの学びを得たい方にとっては、ツイッターなどのSNSは、実質的には最悪のツールです。


「情報を得るのが、別にツイッターからでなくともよい」という方であれば、キッパリやめてしまって、離れるのがベストな方も、中にはいらっしゃるでしょう。


しかし、いずれにしても、それをやるのが「意味のあることなのか?」「無意味なことなのか?」を決めるのは、いつでも自分自身です。


あなたの内側で感じることに全ての意味があり、あなたの内面の動きに基づいて、自分自身で下す決断にこそ、大きな意義があります。


人生には、いろいろな段階がありますから、自分が置かれているその時その時の段階を大切にしながら、どうぞ自分に意味のある選択をしていってくださいますように。


また、私個人的には、ツイッターには登録しておらず、普段は見ることもないのですが、今回の記事を書くにあたって、ツイッターを少しじっくり見てみました。たまたま私の動画をシェアして下さっている方の投稿も、初めて見ることができたのですが、「こんな風にシェアして下さることがあるんだ」と、非常にありがたい気持ちになりました。


(そんなにディスられていなかったり、「Moonのにほん語さん」と、さん付けされているだけで感動してしまいました。)


善意で事実を周囲にお伝えして下さっている皆様には、改めて感謝の気持ちをお伝えいたします。

いつも本当にありがとうございます。


感謝の気持ちで一杯になったのと同時に、善意のある皆さまには、この巧妙な洗脳トラップにより心身が蝕まれたり、のびやかな成長が妨げられたり、時間やエネルギーを無駄に消耗することのないよう、よりよい選択や、よりよいお付き合いの姿勢を見つけていだけたらと、心より願う気持ちです。


最後までお読みくださり、ありがとうございました。



Bio Sinfonia


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◆Bio Sinfonia(バイオシンフォニア)HPはこちらです👇

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