あなたの喉に飛び込んでいく、無限ゴミ
- Bio Sinfonia
- 2024年11月15日
- 読了時間: 14分
更新日:3月5日

秋も本番になってきて、秋らしさが深まり、
やがて冬へと移り変わって、より冬らしくなっていく・・
この季節の移ろいの中で、毎年のように私たちが感じる、喉の違和感があります。
喉のゴロゴロ感。イガイガ感。
そして体に響く、なんとも言えない風邪っぽい感じ・・
実際、私たちは、この感覚を「風邪」と呼ぶしか表現方法を知らないのかもしれません。
このような喉の違和感と、
独特のダメージ感・・
それが起きてくる原因には、さまざまなものが考えられます。
特に、現代社会ではさまざまな要因が複雑に絡み合い、因果関係がますます分かりにくい時代にもなっています。
しかしながら、それらの原因のうち、非常に分かりやすく、なおかつ大きな要因となっている「明確な事象」があります。
それは、私たちへの影響力があまりにも大きなものでありながら、巷ではほとんど議論されることがありません。
どれだけ人類の意識が進化しようとも、どういうわけかこれについて私たちの意識が真剣にフォーカスすることがないのです。
ですがこれは、私たち世代が生まれる前から、そう、ずっと昔から人類が抱えてきた大きな問題です。
それが・・

目に見えないほどの極小サイズになって、空気中に溶けている「無限ゴミ」です。
ここでフォーカスする問題は、ごみの焼却場から発生する微粒子の話ではありません。
工場からの排ガスの話でもありません。
それらにまつわる公害と環境問題の歴史は、他のところでも見ることができます。
ここでのテーマは、そのようなルートではなく個人個人が個人的な行動によって、膨大なゴミを空気中に投げ込んでいるという、身近なお話です。
では、具体的にはどのようにして、「個人が空気中にゴミを投げ込んでいる」のでしょうか?

基本的には、なにも問題意識を持たない個人が、個人の敷地でそのままゴミに火をつけて燃やしているのが大半のケースです。
地面にそのままゴミを重ねて燃やす方法が典型的ですが、ドラム缶が使用されるケースも多く、簡易的にレンガを組んで燃やす人も少なくありません。
これらは俗に、「野焼き」と呼ばれています。
野焼きというと、草や稲わらなどの自然物を燃やすことだけのように思われている方が多いかもしれませんが、現実的にはそうではありません。
湿度が高く、地面や草が湿っていることの方が多い日本の気候風土では、ただ単に対象物に火をつけたところで思うようには燃焼しませんから、大抵はそこに【何か】が一緒に投入されることになります。
その【何か】というのは、燃焼を促進させるための不要物、つまりゴミであることが多く、「石油系のゴミはよく燃える」とのことで、燃焼促進剤の代わりにゴミを放り込む人が後を絶ちません。
これだけでも大問題ですが、100歩ゆずって「自然物だけを燃やしているのだ」という建前を信じると仮定したとしても、農薬や除草剤が使用された作物の残渣(ざんさ)が燃やされて空気中に拡散するということは、一体どういうことか?を、よく考えてみるといいと思います。




しかも、実際には、それどころではないのです。
リアルな現実は、みなさんの想像をはるかに上回るものです。
みなさんが日ごろ分別してゴミ袋に詰めているようなゴミはもちろん、粗大ごみから危険物まで、あらゆるものがそのまま燃やされているという多ジャンルに渡る野焼きの現状があります。
弁当を食べたあとのプラスチック容器、洗剤などのケミカル用品、本来はガイドラインに従って処理すべきはずの薬剤や農業資材、着なくなった服や要らなくなった雑貨、使い古した布団類、机やソファーなどの家具、大量の段ボールや梱包資材・・・などなど。なんでもアリです。


こんなものが、私たちの吸い込む空気に溶けているのです。
実際、これらは私が日常的に見かけるラインナップです。
車で道路を運転しているだけでも、道沿いにある個人の敷地や、畑の敷地で、火の中にこのような様々なゴミを習慣的に投げ込んでいる市民たちを、嫌というほど目にしてきました。
あまりにも衝撃的な光景です。
年間を通して行われているこれらの行為が、秋以降になると激化していきます。
「秋が深まるにつれて激しくなり、冬に向かうにつれてエスカレートし、冬中だらだら続く・・」という毎年恒例のパターンがあります。
ちょうど「風邪やインフルエンザが流行る」と言われているシーズンにピッタリ沿うようにして、これらの行為が激化し、私たちが24時間吸い込む空気に、目に見えない極小のゴミが溶けていくのです。

それらを吸い込みながら過ごしている私たちは、喉がイガイガ&ゴロゴロするのも当然です。
喉に異物感を感じるのは、実際に喉に異物が飛び込んでくるからです。
鼻水も出ますし、目も痛くなりますし、涙も出ます。
「秋花粉か?」と錯覚してしまう症状に見舞われる方もいれば、たびたび風邪っぽい感じを覚える方がいらっしゃるのもそのはずです。
しかし、なにも気にも留めない方々も多数いらっしゃいますし、だからこそ燃やす行為そのものを行う人々が後を絶ちません。
私の街でも、毎年のように家が丸やけになり、家族も焼けてしまい、山も大規模に焼けてしまう事件が必ず起きていますが、「うちだけは大丈夫」とばかりにこの習慣が継承され続けています。
この習慣によって、全国各地で家が焼け、人が焼け、山が焼け、自然界に甚大なダメージを与えているというのにです。
皆さんは、こんなことを聞くと、
「そんな非常識なこと、都会では誰もやらないよ!」
と思われるかもしれませんが、残念ながら空気はひとつです。
空気は、世界と繋がっていて、
空気は、あなたと繋がっています。
なので、これは実際に、あなたが吸い込む空気のお話です。
そして、これらの行為は一体何なんなのか?というと、まぎれもなく「犯罪」です。
命と環境に甚大な影響を与える野焼きは、「暴行罪」よりもずっと罪が重くなっています。
※5年以下の懲役、または1,000万円以下の罰金、あるいはその両方が科せられます(廃棄物の処理及び清掃に関する法律/第25条)
しかし、このような犯罪行為に対して、きちんと対策をしている自治体は、全国でもごくごく一部のみです。
表向きは「やってはいけませんよ」「野焼きは禁止ですよ」というチラシやウェブページを作りながらも、実際には「軽微な野焼きは認められている」「やむを得ない野焼きは認められている」という法の抜け穴に常に逃げ込み続けているか、そうでなければ完全に目をつぶったまま華麗にスルーしている自治体が大半となっています。
私の住んでいる地域もそうです。
私が数年前に移住先として選んだこの地域は、定期的に除草剤をまくだけでは飽き足らず、刈った草はとことん燃やし、竹やシノ類も燃やし、秋になれば稲わらも燃やし・・

・・そして、
なんと、私が住む集落のご近所、10軒以上のお宅がすべて、通常のゴミ出しを行わずに、家の敷地内で燃やしていたのです。

しかも、この事態は、市内全域に渡って広く見られる状況でした。
そして、もちろん私は、この問題に対して何もしてこなかったわけではなく、個人活動家としてかなりの歳月と労力を費やしてきました。

しかも、私はこのような体質ですので、野焼きのたびに呼吸困難になったり発作を起こしたりと、命の危険も度々ありました。実際、本当に信じられないくらいの苦しみです。
一時期は、うがいをすれば常に血が混じる状態で、声もうまく出せなくなり、家族との会話はメモ帳を使った筆談をしていた時もありました。(※これらの症状に関しては、スマートメーターの影響も絶大ですが)
しかしながら、自治体の対応は、想像を遥かに超えるほど絶望的なものでした。
いくら簡単に実行可能な問題解決プロジェクトがあっても、予算などほとんどかからないとしても、そんなことは関係ありません。
挙げ句の果てには、市の職員でさえ「うちも燃やしてますから」と胸を張って暴露する始末です。
これが、表向きは「地球温暖化防止!」や「脱炭素社会!」のスローガンを掲げながら、デジタル田園都市計画を進めている自治体の実情です。
そして、これは決して、私の住む自治体だけが狂っているのではありません。
全国的に、狂っています。
日本全国で行われている野焼きに苦しんでいる人たちの声は、以下でもご確認いただけます👇
(↓クリックで別サイトに飛びます↓)
残念ながら、私個人的には2020年になる頃には地元に対して手を尽くし終わり、素晴らしいプロジェクトは揉みつぶされ、最終的にやったことは、自分の実費で学べる資料などを作って地域の皆さんにお配りするという方法でもって、デッドエンドとなりました。
個別に資料をお送りした結果としては、やさしい気持ちを少しだけでも持っている人は、燃やす回数をちょっとは減らしてくれたのかな?という、微妙な肌感覚はあります。
現在、私の住まいに関しては以前よりは少しマシな状況になり、多少は過ごしやすくなって喉も回復してきましたが、なんと言ってもその一番の理由が、私がやった活動の結果ではなく、
「野焼きをしていた人が亡くなった」
ということの方が現実的な理由になっていますから、切ない以外のなにものでもありません。
野焼きをしている方の中には、信じられないくらい丈夫な方もいて、農薬が残ったままの容器を地面で燃やしても本人だけはビクともしないという驚異的な方もいらっしゃいますが、それ以外の方は、喉頭がんになったり、白血病になったり、突然死したりとの現実が私の住む地域にもあります。
当たり前ですが、野焼きは非常に毒なのです。
喉頭がんを患って声が出なくなっても、自分が生涯に渡りモクモクと燃やしてきたゴミとの因果関係はアウトオブ眼中で、ただ「不運が降りかかってきた」としか思えないというのは、何という知性の劣化でしょうか。
しかし、ここで目を向けるべき重要なことは、『これからのこと』です。
驚くべきことに、田舎でみるみる変わってきていることは、野焼きを行う人の年齢層が移り変わってきていることです。
以前は、野焼きと言えば、定年退職後の60代・70代・80代の年齢層の方々がよく行っていて、「まぁ50代くらいの人もけっこう見かけるね」といった傾向が典型的でした。
しかし、それがここ数年で、みるみる様子が変わってきているのがうかがえます。
動けなくなってきた高齢者の代わりに、30代・40代の人たちが積極的に野焼きを行うようになっており、おじいちゃんに教わりながら、20代や10代の子も野焼きをやり始めている様子を見かける機会が増えてきました。
この習慣が、次世代へと受け継がれ始めているのです。

だからこそ、今この問題を日本人である私たちみんなが注目して、共有していくことが急務です。
「あらゆるゴミに火をつけて燃やしてしまう」という習慣とその思考回路は、私たちが先祖から脈々と受け継いできた負の遺産です。
それはまるで、「暴力的な思考」と「暴力的な習慣」を持つ人間が、次の世代の子どもたちにも「その暴力性」を受け渡し、暴力的な子孫を延々と地球に残し続けていくような終わらない連鎖と似ています。
どこかで断ち切らなければ、この問題は永遠に解決することはありません。
なぜなら、今はもう2024年なのです。
今はもう、縄文時代ではありません。
縄文時代ではないにも関わらず、ごみに対する私たちの意識と習慣は、まるで縄文時代で止まっているかのような部分があります。
その昔、ごみはすべて、自然に返るものでした。
たとえば、動物の骨や、魚の骨。
貝の殻や、果物のタネ。
植物のかたい芯の部分や、根っこなど。
現代の感覚で平たく言えば、「生ごみ」です。
そして、体に身に着けていたモノも、自然なものでした。
動物の皮をなめしたものだったり、植物や木の皮を創意工夫で加工したものなど。
すべてが自然に返るものでした。
さらに、住居や建造物も自然なものでした。
材料は、土だったり、石だったり。
木だったり、竹だったり、
藁だったり、草だったりと。
衣食住に関わるものすべてが、自然に返るものでした。
ですから、不要物が大地に返る過程で、小さな生きものや微生物たちが食べて分解しても、彼らの命を傷つけて汚染するようなこともありませんでした。
空気・水・大地を有害化学物質で汚染することはなく、すべてが自然に返るか、そのまま再利用できるものでした。
なので、はるか昔は「ごみ」という概念ですら、なかったのかもしれません。

しかし、人類の暮らしの変化とともに、ごみの中身も移り変わってきました。
道具が進化し、機械化が進み、産業革命の波を幾度も迎え、ごみの質が大きく変化するターニングポイントをいくつも迎えてここまできました。
このような時代の変化と共に、ごみの中身もすっかり変わり果てているというのに、そのあいだも個人が個人の敷地で「ごみを燃やす」という行為は、止むことなく脈々と続いてきたのです。
戦後、わら半紙や新聞紙を燃やしていたのと同じ感覚で、現代のケミカル製品のゴミを燃やせば、どれだけ空気を汚染するか?は小学生でも分かりそうなものですが、日本の田舎では人間が大人になり始めると、「一人前の大人の仕事」としてこれをやり始めるのですから、驚異的な伝統です。
私が市の会議室に出向いて、この問題について話をしていた際、環境課の課長さんがにっこりしながら言い放った一言が、今でも忘れられません。
「まぁ、これも秋の風物詩ですね」

さて、この殺人的「秋の風物詩」。
風物詩になるくらい目に余る伝統行事が、「風邪」や「インフルエンザ」と呼ばれるものが流行る時期に合わせて激しくなるのは、どうしてなのでしょうか?
そこには主に、3つの伝統的な理由があります。
一つ目は、農業上のサイクル
二つ目は、物流の激化
三つ目は、人々の暮らしの習慣
です。
なんと言っても、このような【人間の行動パターン】の歴史は、「風邪・ウイルス・伝染病」の流行と呼ばれているものと同じくらい古い歴史を持つものですから、とても興味深い盲点だとは思いませんか?
これらについては、次回『第二弾』で、さらに詳しく共有していきたいと思います。
特に、野焼きが「農業にとって欠かせないものだ」といった迷信を信じてしまう精神構造についても、次回に取り上げます。
これは、農業がうまくいかない原因を、架空の「ウイルス」や「病原菌」に求めたり、虫や草のせいにしているからこそ起きてくるロジックです。
このロジックには、自分の体調不調の原因を「ウイルス」や「病原菌」に求めてしまう概念と同じ洗脳の原理が働いており、まさに農業における「病原体説」の闇と言えそうな問題です。
次回も、どうぞ楽しみにしていてください!
今回のテーマは、いつも「セルフケア通信」を読んでくださっている皆さんにとって、あまり馴染みのない毒の分野だったかもしれませんが、これは非常に壮大で、根の深い健康問題です。
まさに、あなたの中を流れる真のごみ問題とも言えます。
なんといっても、今吸っている空気のお話ですから。
よく日本は、「ごみが落ちていない綺麗な社会だ」と世界から褒められることも多いですが、【本当のごみ問題】とは、一体なんなのでしょうか?
目に見えるところにゴミが落ちていなければ、それが「美しい世界」なのでしょうか?
いくら肌の表面についているフケやホコリをかき集めてツルツルに取り去ってみても、体の内部の血液には深刻なゴミが巡り続け、あらゆる臓器にゴミが溜まり続けているのだとしたら。
そして、それと同じことが地球そのものにも起きているのだとしたら。
その現実を想像してみれば、世界中にあふれ続けている深刻な病の原因が、またひとつクリアに見えてきませんか?
食べ物の中にも、住まいの中にも、衣服の中にも合成化学物質が入り込み、
大地には、農薬や除草剤が際限なく染みわたり、
水の中にも、延々と有害化学物質が溶けていき、
そして空気中には、それらすべてを包括するかのように、すべてが溶け合っているのです。
ですから、
「このイガイガ、ウイルスかも‥」
「風邪がうつったのかも‥」
「なにかの感染症かも‥」
・・と架空の設定に振り回されるのをキッパリやめて、ありのままの現実を見つめていくと、喉がイガイガする原因も、咳が止まらない原因も、以前よりもずっとクリアに見えてくるようになります。
熱っぽくてフラフラする原因も、だるくて動けない原因も、頭痛や倦怠感の原因も、自分を知れば知るほど、そして世界を知れば知るほどに、もっとクリアに見えてくるようになるはずです。
すべては、「自分を知る」ということの延長です。
「なぜ体調がすぐれないのか?」や「なぜ病気になったのか?」を考えることは、自分のすべてを見つめ直すことであり、世界を深く知ることであり、目の前の現実に対して目を開いていくということです。
どうかこの問題についても、目を開いていただき、どんどん話題にあげてください!
あなたの吸い込む空気が、今より少しでも綺麗になるように。
今日も息をするのも苦しくて、いっそのこと死にたいと思っている人が、「やっぱりがんばって生きてみたいよ‥!」という希望を持てるように。
心にフツフツと熱い炎がくすぶる皆さんは、その炎で自分や他人や地球を傷つけるのではなく、自分の人生をよりよくするために、どうかその貴重な力を使ってください。
自分の人生をよくするということは、この世界をよくするということです。
あなたの人生こそが、「世界」なのですから。

今後も、あなたの心の力を、ここに少しだけ重ねてくれたら本当に嬉しいです!
今日もお読みくださり、ありがとうございました☆彡
2024年11月
Bio Sinfonia(Etsuko)

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