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日本式グラウンディングを考える~DIYレポート第二弾~

人間というのは、食べものを食べなくても何日かは生き伸びられますが、空気を吸わなければ、たったの数分で死んでしまう生き物です。


こんなに単純なことを思い出すだけでも、どれだけ「空気」というものが私たちの命の状態や健康状態に密接に結びついているのか?を、思い出すことができます。


でも、当たり前にいつもそこにあるものだからこそ、その貴重さを忘れてしまうのが人間です。


空気というものは、自分が持っている実感もなく、さわっている感覚もなく、目にも見えないもので、いくら粗末に扱ったとしても、文句など言ってこない存在です。


人間が空気に対して、いくらひどい仕打ちをしたとしても、空気は決して私たちの命を支えることをやめませんし、かといって恩着せがましく振る舞うこともありません。


私たちにとっては、これ以上の無条件の愛はないと言えるほどの、いのちの祝福です。




ですが、空気がじっと黙っているからと言って、それを敬う気持ちを忘れ去ってしまうと、全ての結果が自分の命に跳ね返ってきます。


空気に毒を放り込むことは、それを吸い込む自分の体に毒を放り込むことに他なりません。


なので、そんな行為をやめればやめるほど、自分も家族も自然界も、健やかな状態を取り戻すことができます。


こんなに単純な話ではありますが、地球上の大多数の人間がこの本質を実生活に生かすことなく日常を過ごしてしまう理由は、人間が空気に対して「いつ・どこで・どのように毒を放り込んでいるのか?」を知らない、あるいは「身に覚えがない」というところに原因があると思います。


「知らないし、その自覚もない」という代表格の分野が、まさに「家」だと思います。


生まれた時から住んでいた家、若い頃に一人暮らしを始めた家、ローンを組んで購入した家・・・


寝ている時も起きている時も、家に漂う空気を刻一刻と吸い続けるという、あまりにも重大すぎる問題があるわけですが、そこに漂う空気の質をつくり出す「家の素材については深く考えない」という、ケミカル産業にとっては都合の良い思考回路が、私たちの中には形成されてしまっています。


健康問題をつくり出す原因には目を向けないよう、まるで目隠しされているかのように調教されてきた意識の窓を、常に打ち破っていく必要があります。



さて、しばらく前になりますが、以前お風呂場のDIYについてレポートしました。


今回は、その続きとなる第二弾で、床の素材についてです。



✦ː── 前回の記事はこちら──ː✦



目標としては、お風呂場の床をタイルにしたいので、下地にぎっしりと敷き詰めた石の上に、モルタルを施工しました。


モルタルの成分は、「セメント+砂+水」です。


ちなみに、セメントの原料は、成分の7~8割が石灰石で、あとは粘土・珪石や珪砂・酸化鉄・石膏が基本となっています。


太古の遺跡や建造物でもお馴染みの、人間の知恵と技術の結晶でもありますね。


しかし、現代では、ここにも様々な化学物質が加えられるようになっています。


合成樹脂やポリマーを混ぜ込んだもの、接着剤系の成分を加えたもの、抗菌剤を練り込んだもの・・、そして偽コロナイベント以降は、抗ウイルス剤を混ぜ込んだものまで。


今回、タイルを貼るための材料を調達しようとした時も、一般的な目地材や下地材として売られているものには、やたらと有害物質が添加されていて、頭を抱えました。


一見、「これを使えば簡単!」という謳い文句に飛びつきたくなるほどですが、どれもこれも病気になれる施工方法です。


結局のところ、家づくりやリノベーションの分野でスタンダードとなっているのは、「住むだけで病気になれる家」を外注するのか?、それとも「住むだけで病気になれる家」をDIYするのか?の違いだけとなっていて、体に良い本物の自然素材を使った施工法というのは、DIYであれプロが発信する情報であれ、極めて乏しい情報量となっています。


今回も手探りの中、不安と希望で一杯になりながらの作業です。


でも、化学物質が世の中にあふれる前の職人さんがやっていた伝統的な方法を頼りに、基本的な技術を確認したり、混ぜる水の割合を検討したり、最初は小さなもので練習したりと・・。


最後まで悩んだタイルの目地材も、セメントと砂と水だけの配合にしました。


そして、ついに完成です!



完成後、もっとも驚いたたことは、床に素足がふれた時の、なんとも言えない優しい素材の感覚です。


目地の材料は「石灰分・砂・水」ですし、タイルの原材料も基本的には「粘土と石」です。


そんな床に素足が触れた瞬間、全身で体感したのが「地球の自然」という実感でした。


まるで地球に直接足がついているかのような、いわゆるグラウンディング活動で得られるであろう感覚が、体に伝わってきました。


この感覚は、初めてではありません。


以前、自然素材で小さな小屋を作った時、木の床に足を踏み入れた瞬間、地球そのものに足をつけているような感動を覚えました。


(たたき土、自然石、炭、木でつくった床下と、それに続く木の床)


こうした体験から痛感することは、本来の昔ながらの日本人の暮らし方は、ただ普通に生きているだけで健康になれる、非常に恵まれた習慣を持っていたということ。


家に入る時に靴を脱ぐ習慣のある日本人は、家そのものが本物の自然素材であるならば、何もしなくてもグラウンディングやアーシングが自然とできるわけです。


一方、インスタ映えするような西洋文化のグラウンディング活動を日本で真似しようと思っても、正直言って現実的ではありません。


日本の気候は高温多湿で、それゆえ植生もバラエティに富んでいますから、自然な場所ほど裸足で歩けば、すぐに足から流血してしまいます。靴を履いて森や野を歩けば、ふわふわした柔らかい腐葉土の感触が得られるものの、素足で歩こうとすると想像以上に尖った植物の実や小枝が足の裏に突き刺さってきます。子どもの頃から素足で自然界を歩くことに皮膚を慣れさせ、足の裏を固い皮に仕上げていかない限り、現実的ではない話です。


そのため、自然な場所ではなく、ある程度の不自然な場所でのグラウンディング活動となりますから、やはり「芝生の上」などが有力になります。


そこで、公共の場や公園のような場所が有力になってくるわけですが、一歩間違えば除草剤や薬剤散布の影響がありますから、日頃から感覚を養っておき、「今は大丈夫なのか?」という最低限の確認をしながら行う必要があります。


しかも、そもそも日本の植生で、芝生のような単一植物を植えようとするならば、元々そこに根付いていた自然の生態系を根こそぎ破壊した上で、地面を整地してから芝生を植えなければなりませんから、まずは大規模に除草剤がまかれます。


さらに、他の植物が生えてくるのを防ぐために地中に石油系の防草シートが埋められるケースや、機能性ゴムシートが埋められる場合も珍しくありません。


このようなシート類も、除草剤も、まさにケミカル産業の主力製品ですね。


基本的に、公共の公園で気にするべき最重要事項は、犬のうんこやオシッコではなく、除草剤だということだけでも、しっかり念頭に置いておく必要があります。


じゃあ、こうしたケミカルの影響を受けないように「ご自宅の庭でグラウンディングしましょう」と言ったって、そんなことを日々実践できる人は、なかなかの恵まれた人物に限られます。ほとんどの人が、ガーデニング雑誌に載るような優雅な暮らしをしているわけではないからです。


こうして一見、日本人にとっては非常にハードルの高そうなグラウンディングですが、それもこれも「誰かに見られる」ことを意識したSNS映えする活動を参考にするからこそ難しくなってしまうだけのことです。


単に、シンプルに地球に寄り添って生きることを選ぶなら、本来グラウンディングは本当にたやすいものです。


ただの普通の日常を、普通に生きるだけですから。


日本という場所で、日本的な住まいに住んでいるなら、ただ単に古くからの自然素材を使ったシンプルな暮らしをしているだけで、グラウンディングやアーシングはとても簡単なはずでした。


床に足をついただけで、壁に手をついただけで、地球の大自然と直接つながることができるはずだったからです。


切り出された木は、床になっても壁になっても、呼吸を続けています。



(古民家を解体した材料と新材を組み合わせて作ったお家です)



日本の昔のお家には元々、なんの有害物質も加えられていませんでした。


すべてが自然の材料で、すべてが大地に帰っていくという、食べられる家だったのです。


ほんの少し前までは、そんな時代が確かにありました。




それが、ここ60年・70年・80年ほどの間で、あまりにも劇的に変化してしまい、現在では家が食べられないどころか、そこに漂う空気を吸っているだけで元気がなくなっていくという、薄めた化学物質を常に吸わされているような空気環境をつくり出す素材が主流となっています。


家そのものの材料だけでもそうですが、家具などの内装も含めると、たいへんな化学物質量になります。


木の家具であれば、合板やMDFや集成材が主流となり、寝っ転がったり素足で触れたりするのに最高だった畳やゴザも、深刻な薬漬け商品に成り果ててしまいました。


そして、そんな事実から目隠しをさせられるかのように、都合のいいガイドラインが制定され、「製品に表示されている星マークの数が安全性の目安!」といった指標を広めて、地球の環境と人間の健康を常に馬鹿にし続けるようなシステムがまかり通っています。


医学界の在り方が、一般人に対してより有害なものを広く提供するシステムへと体系化されていったように、建築界でも一定の基準が設けられ、消費の仕組みが体系化されていき、住むだけで病気になれる家が「丈夫で安全」という太鼓判を押されて流通しています。


このようなまやかしの基準や、偽りのエコスタイルが推し進められていく過程で、昔ながらの伝統的な工法の数々が消滅する道へと追い込まれてしまいました。これらは、本当に悲しいことで、取り返しがつかないほど残念なことです。


結局、医学界でも農業界でも建築界でも、その背後に君臨しているのは全く同じケミカル産業なのです。


ですが、そんな世界の生産活動(破壊活動)とは裏腹に、自分自身の人生で「自分はそんなものは選ばないよ」と選択していくことは、まだまだいくらでもできます。


自分の頭で真剣に考えて選べば、数は少なくても解決策に出会えますし、自然素材のお家や家具を提供してくれる小さな工務店さんも、少ないながらも日本全国に存在してくださっています。


まずはこうした視点を養うところから始め、自分にとって大切なものの価値観を育てることが、この先の判断力や実践力に繋がると思います。


そして何より、今住んでいるお家にこれ以上の化学物質を付け足さないことは、今できうる最高の行動となります。


有害なものをまとわない生き方を実践すれば、空気の質に敏感になってくるので、「何が有害で、何が無害なのか?」を体で実感できるようになっていきます。すると、自分の選択にも自信が持てるようになり、複雑な情報操作にも惑わされなくなります。


また、多くのお家は、もともとは自然の原料で出来ていたものですから、これ以上の化学物質を追加しなければ、時間と共に有害物質も揮発していき、徐々に顔を出してくるのは地球の素材です。


しかし、建物の種類によっては、もはやそれさえ叶わない方もいらっしゃるかも知れませんが、それでも自分を取り巻く環境に注目していくことは、今まで気づかなかった感性を目覚めさせてくれ、この先の人生をよりよく生きるための本物の知恵を育てていってくれるはずです。


今はベストな状況ではなくとも、「今現在の不調和から学んだこと」を材料に、未来に描く「理想の調和」が形作られていきます。


目の前にある現実は、ある意味、自分が成長するために用意された宝の山です。


そこから学んだことを糧にできる時、今まで知らなかった錬金術が花開くかのように、望みを形にする力があふれ出していきます。




あなたは自分の体の主治医であり、自分の人生のクリエイターであり、そこに意識を向ければ向けるほど眠っていた感性が目覚め、今まで使ったこともない力が引き出されていきます。


今いるその場所で、空気という無償の愛の祝福を受けながら、空気のこと・暮らしのことに、ぜひ時々思いを巡らせてみてくださいね。


なにより、あなたの一番近くに存在している大自然は、あなた自身の体そのものですから。自然が恋しくなった時は、自分の心の正直な声に、そっと耳を傾けてみてくださいね。


今日もお読みいただきありがとうございました!


Bio Sinfonia




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