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  • 執筆者の写真Bio Sinfonia

この世はもともと生物兵器の海---ウイルスと人工ウイルス/シェディングと伝染

今回は「コロナワクチン」と「インフルエンザワクチン」を顕微鏡の下で観察したプレゼンテーション動画に、日本語訳をつけさせてもらいました。


以下、ぜひご覧いただけたらと思います。



そして、次にご紹介したい動画は、私の翻訳ではないのですが、個人的にとても大事だと思っている動画です。


まったくもって「かゆいところに手が届く」とは、このことだと思い、素晴らしい内容だったので、ぜひご紹介したいです。


以下にご紹介する動画は、Dr.ステファン・ランカ氏が、「人工ウイルス説」や、様々な「生物兵器説」に切り込んでいます。


人工であろうと、天然であろうと、「ウイルスもどき」や「人工ウイルスもどき」が存在し、それが伝染して、周囲にうつり、うつし合う・・・という設定は、支配層側のシナリオとしては、いつまでも存続させておきたい最高の“オハコ”なのだと思います。


(こちらの翻訳者のqueseraseraさんは、とてもよい動画を翻訳されてらっしゃいますので、ぜひ他の動画もご覧になってみてくださいね)


せっかく「ウイルスは存在しない」と理解しても、『人工ウイルスもどきなら存在し、それが伝染して、感染し合う・・」という、作られた設定に飛び込んでしまうことは、結局は「コロナウイルスが存在する」のと”同じ現実”を固定し、”同じ未来の末路”を連れてくることになります。


そういう意味では、「シェディング」に関しても、誤って履き違えてしまうと、結局は『感染・伝染』と同じ意味で使っているだけになってしまうという、危ない面もあるかと思います。


「シェディング」という概念は、支配側にとっては、かなり利用価値が高い概念かと思います。


ワクチン接種者が、ワクチン未接種者をバイキンのように恐れて、人でなしのように軽蔑するケースはよくあったことですが、シェディングの概念によって、ワクチン未接種者もワクチン接種者のことをハイパーウイルスや生物兵器をまき散らすエイリアンのように恐れて、お互いに除菌しまくりの分断し合いになると、両者ともに「やってることは同じ」になり、恐怖統治をしたい側には好都合でしかありません。


これもまた、「ウイルス」対「人工ウイルス」の縮図と同じで、結局は同じ未来・同じ状況を連れてくる・・という、ひとつのテンプレートのパターンです。


つまるところ「うつる」という恐れを利用した洗脳であるという共通点があります。


さて、私個人的には、「シェディングに似たような現象」は当たり前にあるということを、ずっと昔から実感してきました(もちろん、「シェディング」と言う言葉自体は使っていませんでしたが)。


人が人である限り、生き物が生き物である限り、です。


目に見えない危険なものは、ずっと昔から、本当にすごくたくさんあって、そういった危険な合成化学物質は、これまでも年々、確実に増え続けてきました。


本当に、一年一年、増えていくのです。


これは自分自身のリアルな『実体験』でもありました。


他人の汗腺や吐く息など、その人の代謝機能を通して分泌される、様々な合成化学物質の異様な臭いや味を吸い込んで、物理的に具合が悪くなる・・・これが私が17年間、普通にリアルに体験してきたことの「一部」ではありました。


ですが通常は、こうした↑その人の『代謝物』で具合が悪くなる‥という前に、何よりもまず、その手前にある「その人が着ているもの」や「身に付けているもの」、「肌につけている化粧品」や「手に付けている除菌剤」、「髪を茶髪や金髪に染めている化学染料」や「ヘアケアグッズ」・・などなどの外側にある、あふれんばかりの直接的な毒素に反応して、具合が悪くなるのが普通です。


物質との距離感も、これが自然な順番です。


そして環境中にあふれている毒は、こうした「人の体にまとわりついている毒」だけではなく、道端や駐車場にまかれた除草剤や、お店の中の建材から出ている化学物質、製品臭、個人宅の素材や家具の素材、衣類の素材など「物質にまとわりついている毒」も沢山あふれています。


そして現代に生きる私たちは、まるでコップの水があふれ出すかのように、体内で対処できないほどに毒の量がアップアップになったタイミングで、様々なもの・様々なニオイ・様々な化学物質に過敏に反応し始める・・という現象は、もちろん大いにあることで、それも当然のことかと思います。


しかし、それが「存在しないウイルスもどき」や「人工ウイルスもどき」に反応して、そのような現象が起きている・・と思い込むのは、とても危ないことだと思います。


あるいは、存在しないウイルスの、存在しない「スパイクタンパク質に反応して・・」という結論を早まって出すこともです。


現代人は、まるで分厚いオーラの層をまとっているかのように、様々な有毒な化学物質の層をまとって生きている状態なのですが、その奥にある「代謝物、限定」で、そこを部分的に吸って具合が悪くなる・・という考え方は、ある意味、本当に奇妙な話ではあるのです。


最近の傾向を見ていると、「感染」や「伝染」のような現象を、「シェディング」という言葉に置き換え、結局は同じような思考へと導くような傾向も見られ、とても異様な流れがあるなと感じています。


『本当に危険なものから目をそらさせ、架空のモノに注意を向けさせる』


という恒例のパターンが、様々なタイプのモノを使って、繰り返し繰り返し行われています。


私自身は、目に見えないものに非常に過敏に反応してきたことが『自分の人生そのもの』だったために、「シェディング」や「生物兵器」というトピックを語り出したら、簡単には語り尽くせないほどのものがあります。


しかし、まずは上記の動画のポイントを理解することは大前提で、本当に必須なのであろうと感じています。


【追記】以下の関連動画も翻訳に追加しました。ぜひご覧ください☆

《機能獲得型の心理操作》


《生物兵器のデタラメ~プロパガンダ映画「プランデミック」の罠》


とりあえずは、ここを押さえ、一つ一つ大事な事実をおさえていく!


こうした地道なステップを踏むことで、本当の意味で目を向けるべきものに、ようやく注目することができ、自分自身や大切な人の身を守れるのではないか?と思っています。



そして、本当にすごく思うのですが。


実際にもし、物理的で実際的な「シェディング」を、本当にリアルに感知して実感できるほどの人々が、この地球上にこんなに沢山いらっしゃったのなら・・・


もし本当にそうならば、地球は今より、遥かにずっと素晴らしい自然環境を保てていたはずであろうと、切実に思うのです。


地球の空気を汚したり、川や海や地下水を汚したり、ミツバチのような小さな生き物たちを殺すような毒素や、イルカなどの素晴らしい海の生き物を殺すような毒や電波などを、私たち人間が「自分の痛み」として本当に体感できる感性を持っていたなら、どれだけ地球は素晴らしい星になっていたことだろう?と思うからです。


けれども多くの人々は、空気中に漂うネオニコや除草剤、抗菌剤や防虫剤、柔軟剤やシャンプーに含まれるポリマー類、その他のありとあらゆる自分に関わっているたくさんの毒素を、ほとんど感知することはありません。


なぜなら、「本当に感じないから」です。


けれども、他人の代謝機能を通して排出される、「シェディング」だけは感知する・・というのは、「一体どういうことだろう?」「果たして、筋が通っているのだろうか?」と、立ち止まって考えてみることは、非常に大切なことだと思います。


そのような「感じない」という否めない事実があるにも関わらず、ここに来て「シェディング」という概念そのものが、ちょっとおかしな方向へと誘導されそうになりながら、もてはやされているような気もします。


「感じない」ことは、悪いことではなく、現代社会で生きていくためには必要な能力でもあります。


ありとあらゆる毒素を感知してしまったら、現代社会では普通に生きていけないほど、暮らしは一気に破綻してしまうからです。これは、とても苦しく、辛いことです。


実際、重い化学物質過敏症を発症すると、ありとあらゆることを体や感性が感知し始め、真実の探求者にとってはおそらく嬉しいほどに世界の見方が一変しますが、その一方で、実質的な暮らしは破綻し、生きていくのが本当に困難になります。


あまりにも圧倒されるほどの「毒の海」に、生きていくのが苦しすぎて、死を選ぶ方さえいらっしゃるほどです。


それほどまでに、ずっと前から、この世は毒まみれです。


だから、「感じないこと」も、人間がそれぞれのステージで、それぞれの道を歩む段階を大切にするためには必要なことで、大切な要素なのだと思います。


そして、「感じない」からこそ、「目を向ける」ことや「知ること」「学ぶこと」が大事なのだと思います。


個人的にはそんな気持ちで、いつまでも学びの大切さを忘れたくないなという気持ちで、動画の翻訳をしています。




人間を含めて、生き物というのは通常、「直接的な毒」や「直接的な電磁波」による、ダメージの方が大きいはずです。


人の吐く息や、人の毛穴から出ている『間接的な毒素』よりも、「直接そこに撒かれている除草剤」や「直接その人の衣類についている柔軟剤・抗菌剤」や、「直接そこに飛び交っている電磁波」という、直接的でむき出しの毒素の方が、影響力もインパクトも大きいはずです。


そして、これらの「直接的な毒」もまた、目には見えませんが、それらは「感染」を起こしませんし、伝染病のように「伝染」するものでもありません。


なので、「シェディングをあたかもウイルス感染かのように捉える論説」に出会ったら、ちょっと待てよ?と、立ち止まって、熟慮してみる価値はあると思うのです。


何と言っても、「生物兵器」という言葉を借りるなら、この世はすでに昔から「生物兵器だらけ」だったからです。


「ネオニコチノイド系農薬」が社会のスタンダードになった時、一般的な野菜は、どこをカットしても金太郎飴のように農薬まみれになりました。


その時、あの時代、私の人生は本当に大きく激変しました。


だって、お野菜が「生物兵器」になったのですから。


重度の化学物質過敏症患者は、そういった玉ネギやニンジンがそこに置いてあるだけで、「野菜からのシェディング」を受けます。


食べなくても、です。


そして多くの人々は、これを感知することはありません。


しかしながら、そのような農薬を「〇〇で落とせます」とか「この商品で農薬を落とせます」とかいう、私たちを無意味に励ます微妙なカルチャーは常に存在し、解決策を提供してくれているようでいて、実は何ら科学的ではありませんし、まずもってまともな立証もされていません。


金太郎飴のように、どこをとっても野菜の細胞全部に農薬が浸透しているというのに、「その農薬、落とせます!こうやって食べれば安心!」的な商品の販売や、そうした概念のばらまきで人気を得ている人々の活動って、「それ、なんなのよ?」「どういうことよ?」と、よくよく考えてみる必要があります。


「ニセの解決策を提案し、安心させて放置させる・・」というのは、「コロナ病とコロナ治療薬」のセット販売の縮図と似ているかも知れません。


また、昔ながらの素敵な畳やゴザが、農薬まみれの合成畳になり果てて、私たちの住居やインテリアに入ってきた時、それは取り返しのつかない「生物兵器」になりました。


また、「木の家」が、本来の「木の家」ではなく、接着剤で固められた「合板」で作られた家のことを指すようになり、それこそが「優れた耐震基準を持つ住居だ」と認定されるようになった時、私たちの住まいそのものが、「生物兵器」になりました。


(※い草や野菜、木や植物を「生命体」と捉える前提で、生物兵器と表現させてもらいました)


こんな感じで、虫よけブーム、香りブーム、除草剤ブーム、ケムトレイル、抗菌ブーム・・と、ぜんぶが凄まじいレベルの「まさに兵器」の海の中で生きているような状態です。


柔軟剤や抗菌剤は、直接的な毒素ですが、それらを使用している人が焼いたパンや、処理した精肉にはその成分が接着剤のように付着してしまうので、肉・魚・パン・お菓子・お惣菜・・・などなど、食べ物が次々と「兵器化」していく様子を、長いあいだ目の当たりにしてきました。

そして、重い化学物質過敏症の人は、これを「自分の体の痛みや苦しみ」として、いちいち体感してきたというわけなのです。


なので、この時代になっていきなり、目に見えない存在しないウイルスもどきを「生物兵器だ」といったり、「生物兵器」という言葉を曖昧な用途に対して乱用するというのは、おかしな話だなと個人的には思うところなのです。


そして、2021年からじわじわと広がり、あっという間に日本社会に浸透してしまっているのが「5G」という直接的な毒ですよね。ここでもまた私の人生での体感は、ショックを受けるほどに激変です。


けれども、このような「実際的な生物兵器」の話に、多くの人々が切り込んでくることはありません。


一年一年、化学物質が増えていくように、ワクチン接種が始まった時期の頃にリリースされはじめた合成化学物質や、各種商品もたくさん存在しているのです。


その中には、目がチカチカしたり、強い頭痛がしたり、脱力感や疲労感をもたらしたり、シェディングだと言われているような症状とかぶるものが数多くありますが、これらの症状もまとめて「シェディングだ」と断定してしまうと、本当の原因物質に対処することが困難になります。


実際に身近に沢山の毒があることを理解して、自分自身の生活から取り除き、また身近に使っている人がいたら「それ、体に悪いからやめた方がいいよ」と教えてあげられるようになることが望ましい学びだと思うのですが、すべてを「シェディングだ」と決めてしまうと、自分の生活からも毒素を取り除けないですし、他人に対しても具体的に教えてあげられるような知識が身に付きません。


そうなると、できることは、噂されている何かを飲んだり、噂されているサプリに頼ったりするような行動に走りがちになりますが、そういったサプリや飲み物が必ずしも「自分にとってよいものなのか?」というのは、また別の話です。


私たちは、どうしても「ハリウッド作品」のような、あくまで”面白い陰謀説”に飛びつくように、長い時間をかけてテレビや各種メディアに「感性」を調教されてきたのかもしれないですね。


そんな調教された感性を、自分らしい自然な感覚へと戻す手助けをしてくれるのは、やっぱりそこにある「自然」なのではないかなと、個人的には毎回そこに回帰するばかりです。


この写真は、庭先の「草」と「水」です。


美しいですね。


毎回、目が覚めるほどです。


お読みいただき、ありがとうございました。


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