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執筆者の写真Bio Sinfonia

この世の地獄絵づくりをやめていこう


ふとした瞬間に、あなたも感じませんか?


あっちからも、こっちからも、「異臭」がすることを。


もう、ずっと昔からそうでしたが、

特に2020年以降は、年々輪をかけて、

本当にさまざまなものから「異臭」がしてくるようになりました。


しかも、何かにちょっと触れただけでも、自分にも臭いが移ってしまい、自分からもほのかに「異臭」が漂ってくるようになります。



昔は、こうしたニオイ成分は、超敏感体質の人しかなかなか感じられないようなものでしたが、近年ではこれらのニオイがあまりにも強すぎて、特に敏感ではない人でも感知するレベルになっています。



「新品で購入したものに、芳香剤のような臭いがついている・・」


とか、


「スーパーの肉のラップから、柔軟剤の匂いがする・・」


とか、


「あの人が通った後は、いつも除菌剤や抗菌剤みたいなイヤなにおいがする・・」


とか、


「あの人も、この人も、異様に薬品臭いんですけど!」


とか、


最近の人々の異臭体験には様々なものがあります。



日用品から、電化製品から、人間から、食べ物に至るまで。


食べ物であれば、スーパーのお惣菜、お刺身、手作りパン、お米・・などなど全ジャンル、様々なモノからほのかな異臭を感知される方が増えています。



こうした状況を整理する一つのカギとして、9年前に書いたセルフケア通信の記事をぜひチェックされてみてください!




そして、9年後の現在、上記に書いたようなものに加え、抗菌商品や除菌商品についても非常に深刻な事態になっています。


靴下、下着、寝具、雑貨、カーテン・・と、ありとあらゆるものに対して抗菌加工、消臭加工、防臭加工などがほどこされています。


私のような人間からすれば、この事態は「異常」を通り越して、狂気の沙汰としか言いようがありません。


ここまで「抗菌・消臭・防臭・除菌」の勢いが激しいと、皆さんがいくら気をつけていても、気づかずにその加工が施されている商品を購入してしまうことは、多々あるかと思います。


「なんだか体がだるいな」「いくら寝ても疲れが取れないな」・・という方は、自分や家族が購入したものに「抗菌・防臭加工」等のものが混ざっていなかったか?を確認してみるとよいと思います。


このような観点にアンテナを張っておかないと、知らず知らずのうちに「身に付けているものすべて」を通して、また「お部屋や職場に置いてあるものすべて」を通して、うすめた薬剤を常に吸わされているような状態になってしまいます。


さらにそれらが大量に集まれば、「うすめた薬剤」ではなく、毒の海にポチャンと漬かっているような空気の中を生きることになってしまいます。



そして、これらの問題というのは、自分が気をつけているだけではどうしようもない問題で、社会全体で取り組んでいかなければならないことでもあります。



なぜなら、なにも異臭など感知せず、嗅覚機能が限りなく鈍磨している人たちが、ますますこの社会に増え続けているからです。


「なにも思わないし、なにも感じない」


という状態ですと、自分が使用している毒物に対する危機感や罪悪感を抱くことすらできず、際限なく使用してしまう事態へと陥ってしまうからです。



そして今、人間の感覚の世界が《 鋭敏な人 vs 鈍磨している人 》という風に、まるで二極化しているかのように見えるかもしれませんが、実際のところは「一つの極」に向かって世界が吸い込まれ続けているような状況です。



なぜなら、「自分は大丈夫だ」と思っている人たちでさえ、私たちは誰でも簡単に感覚鈍磨の下り坂を転落していける厳しい現代社会の空気環境を生きているからです。



そして、人というのは、良くも悪くも「現状に慣れる」という、精神的・肉体的特性を持っています。



ですから、やがてはひどい「異臭」にも慣れていき、「異臭」があったことすら忘れ、「なにも気づかないし、気にしない」という感受性へと、地球人全体がシフトしていく可能性すらあり得ます。



本来、生命にとって気持ち悪いはずの異臭が、「無味無臭の空気だ」とさえ感じるようになってしまう可能性が、もはや誰にでもあるのです。



感覚鈍磨の波は、私たち全員に対して、様々なレベルで迫ってきています。






しかし、です。


そんな私たちにも、救いの道があります。



感覚が鈍っている人、

感覚が鋭い人、


そのどちら側にいるのであれ、

その中間にいるのであれ、

どこに、どういう風にいるのであれ、



私たち全員にとって、生きる上での「非常に有益な姿勢」というものがあります。





それが、


【目の前にあるモノの成り立ちを、ひとつひとつ理解する】ということ。



自分の身の周りのもの、

手に取るものに対して、


「なにで成り立っているのか?」

「どういう風にできているのか?」


を、ひとつひとつ知っていくということです。




たとえば、


目の前のあるものに対して、こう問いかけてみましょう。


問いかける対象は、紙でも、えんぴつでも、食べ物でも、電化製品でも、ドラッグストアの商品でも、なんでもいいですが、問いかける内容は同じです。


目の前の何かに対して、こう問いかけてみます。



「あなたは、どこから来たの?」


「どうやって、その形になったの?」


「そもそも、何からできているの?」



と、原材料にまで遡って、思いを馳せていくのです。



原材料の採取の段階から、その形が形成されるまでの過程を理解し、形が形成される工程でそこに添加されたものや不随したものを理解し、商品化され、パッケージングされて、手元に届くまでの全工程に思いを馳せて、理解していくのです。




それが終わったら、次に


「私があなたを捨てたなら、あなたはどうなるの?」


と、思いを巡らせてみます。



「あなたはやがて、どんなふうに大地に返っていくの?」と。



どんなふうに空気に溶けて、

どんなふうに水に溶けて、

どんなふうに地球に溶けていくの?と。



これらの答えが、最低限、「モノを知る」ということです。



「理解する」ということは、感謝と敬意のひとつの形です。



目の前のモノに対して感謝の気持ちを育てることができれば、自分の身の回りに「毒素を放つもの」を置いてみたり、毒を良いものだと勘違いしてスプレーするような行為は、そもそもやりようがなくなっていきます。



なぜなら、そういった毒物を生み出す企業側の「生産活動」と、そういった毒物を使い続ける私たちの「消費活動」と、そしてそれらを最終的に廃棄していく「後始末」という全工程において、


その過程のすべてが、


この世の命と自然を、冒涜する行為でしかない、ということに深く気付くからです。



そのことを、自分自身の心で目が覚めるように実感できた時、人は稲妻に打たれるように衝撃を受けるものです。



そして、ごく普通の優しい気持ちを持った人なら、「そんなことはしたくない」と思うものです。



ですから、


モノを買う時、モノを使う時、

自分の手元に招き入れる時、

自分の体に入れたり、食べたり、

肌に塗ったりする時、


そのモノに対して、「ここに来てくれてありがとう。あなたはどこから来て、何で出来ているの?」という、相手に対する敬意を持ってみることは、私たち地球人、誰にとっても有益なことです。


そこに気持ちがこもっている時、自分がした選択の背景にある景色が、瞳に映し出されるように徐々にわかっていきます。



そうした気づきには、「嗅覚がどれだけ鈍磨しているか?」など関係がありません。


「体がどれだけ敏感かどうか?」にも関係がありません。


なにも関係がありません。


今のあなたの心の在りように合わせて、知性の器に合わせて、今起こりうるすべての気づきがそのまま心に突き刺さっていきます。


どれだけ深く刺さるのか、

どういったレベルで、どれだけ刺さるか、

それとも何も感じられないのか、


それらは、本当に、

あなたの「器」次第です。


そんな器を、日々育てている人物というのも、まぎれもなく自分自身です。



ですから、いずれにしても、自分が今の自分で感じられるすべてが、そこに突き刺さっていきます。



人というのは、

それらによってのみ、

正直に突き動かされる生き物です。


行動に繋がる真のパワーというのは、常にそこから湧いてくる生き物なのです。



自分にとっても世界にとっても、本当に有益なことを選択できるあふれるような情熱は、常に「そこ」から生まれてきます。



そして、「そこ」というのは、言ってみれば「自分の正直さ」です。



正直に感じたことしか、心には刺さりません。



人の心が、本当の意味で深く突き動かされる時、人の身体もダイナミックに突き動かされるものです。



そうやって人間は、「自分の正直な感受性」に教え諭され、自分のする行動や選択が、本来の自分らしいものへと回帰していくのです。



なにかを正直に感じる真摯な姿勢を、自分の人生のあらゆる側面で続けていくことができる時、あなたの人生にはさまざまな恩恵がおりていきます。



いらぬ恐怖は自然とこそぎ落とされ、「自分がなにをやるべきなのか?」を理解し、自分の選択に自信が持てるようになっていきます。



すると、人にも自分にも優しくあれるようになり、特になにも起きていなくても、息をしているだけで充足感を味わえるようになっていきます。



そして、人はこうした状態になってくると、自然と呼吸が安定し、深くゆったり落ち着いてくるので、まさしく異臭を「異臭だ」と正常に感じられるようにもなっていきます。



「良いスパイラル」の始まりです。



たとえ今、自分の嗅覚がなかなか異臭を感知できないとしても、あるいは今、数々の有害物質をうっかり使用してしまっていたとしても、それでもあなたが感謝と敬意を通してモノに対する理解を深めようとする姿勢を持てるのなら、まだまだいくらでもターニングポイントの上に乗っています。



たとえ、最初から感謝を抱けないとしても、

敬意が何か?すら知らなくても、


そのモノに対して、


「あなたは、何?」

「あなたは、どこから来たの?」


という問いかけを、続けてみてください。



それらの答えを理解する過程で、あなたの内側に自然と生まれてくる感覚が、感謝と敬意です。



理解しようと努めることは、「感謝」と「敬意」の形の表れです。



その相手が、人であっても、虫であっても、モノであっても。





10月になり、新しいワクチンの話題も挙がっていますが、言ってみればワクチンなどずっと昔から打たない方がいいというのは当たり前の話でもあります。


そんな当たり前の話を、さらにこの4年近く、いちばん深い核心まで迫りながらみんなで学んできたと思います。そして、もうとっくに結論は出ていると思います。


存在しないウイルスに対するワクチンは、「ないほうがいいもの」ではなく、「本来あるべきじゃないもの」です。



一方、今回話題に挙げたような毒物に関する人々の認知度は、まだまだかなり低いものです。



今も刻一刻と世界に放たれて続けている毒、昨日も今日も、明日もあさっても、私たちが何とかしない限り、野放しで世界に放たれ続ける毒の洪水に対して、皆でアンテナを高めていきませんか?



あなたのシェアで、どうか助けてください!




今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

あなたの選択に、感謝と敬意を込めて。



2024年10月 Bio Sinfonia


(Moonのにほん語 HPはこちらです)


この活動を応援してくださって、ありがとうございます!

お一人お一人に手書きのメッセージを添えて、感謝を込めて送り出しています☆彡




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